報道の不自由

1 「表現」は思想を伝達し、「報道」は事実を伝達するものだ、と両者の違いを以前習ったことがある。ただ、「報道」は伝達する事実を取捨選択するに際し、情報の送り手の知的活動が介在されるから、事実の報道の自由は思想の表現の自由に準じて憲法上の人権として保障されている。
 残念ながら日本における報道の自由は、先進国内では報道の不自由とも言える状況にあるらしい。例年ニュースで取り上げられる「報道の自由ランキング」では、G7の中で最下位だと言う。

 この「国境なき記者団」が発表しているランキングの基準がよく分からないために、このランク付けの当否についてはコメントしかねるが、ジャニーズ事務所をめぐる一連の報道の経緯を見ていると、報道機関が社会の木鐸であるならば(昔はそう自称していた)、情報の受け手が知る価値のある事実を意図的に報道しないという形で、報道の自由を長年行使していたように思われる。

 さて、先に「報道の自由」を行使するに際して、報道機関は伝達する事実を自ら取捨選択する自由があると書いた。過日行われたIBJJFの「ワールドマスター」に関する報道を見ていてもそれを実感させられたので、その記事を読んで思った事を今回は書いてみたい。

 今回の「ワールドマスター」に関して、ネットで報道されたニュースは私の知る限り次の二つだけである。


 この2人が「ワールドマスター」で活躍した事実については文句の付けようがない。ただ、他に日本から出場して優勝した方も大勢おられる中で、この二人だけが「芸能人」だから取り上げられるというのは、報道が事実を伝達するに際して行っている、事実の取捨選択のプロセスを象徴している。
 報道機関は「社会の木鐸」ないし「公器」とかつては自称していたが、実際には報道を担っているのは営利企業である。そうであれば、彼らの報道は当然のように自分達にとって利益の出る、ネットで言えば閲覧者数の稼げるニュースでなければならない。岡田さん、福島氏が「芸能人」として社会的に認知されているからこそ、彼らの試合結果がこうしてニュースとして取り上げられるのであって、BJJが世間的に「スポーツ」として広く認知され、この大会にニュースバリューがあるから報道されているわけではないのである(福島氏の報道が「エンタメ」欄であることがいみじくもそれを証明している)。

2 BJJに馴染みのない方のために、「ワールドマスター」について簡単に解説しておくと、「ムンジアル」(=柔術世界選手権)や「ADCC」と違って、金さえ払えば誰でも出ることが出来る。ただし、エントリー料だけで、日本円で2~3万円(時期による)。それに加えて、ラスベガスへの往復の渡航費や滞在費も掛かることを考えると、仕事をしながら柔術を稽古している人がおいそれと簡単に出られる大会ではない。
 「誰でも出られる」大会だからと言って、レベルが低いという事にはならない。出るだけで相当な出費を強いられるので、記念受験のようなごく一部の人(がいるとすればだが・・・)を除けば、ほぼ全員に大会に勝ちに来ている。
 私が知っている人が週3回程度の練習で1勝も出来なかった所を見ると、「ワールドマスター」で勝てる人というのは、最低でも週5~6回は練習しているのではないかと思う。
 
 岡田さんについては、今はどうか知らないが、以前ある方から「プライベートレッスンではなく、正規クラスで一般会員に混じって練習されている」と聞いた事があり、それだけで「彼は本気で柔術を練習してるんだな」と感銘を受けた記憶がある。
 福島氏については、練習日記がネットで公開されている。


 ざっと見ても、平均して週5回程度は道場で汗を流しているようだ。

 「柔術・グラップリングは稽古量に比例して強くなる」とここ最近毎回のように書いているが、逆を言えば、競技としての「柔術・グラップリングは番狂わせが非常に起こりにくい」という事も言えると思う。だから、岡田さんと福島氏が「ワールドマスター」で勝ったのは、勝つために必要な努力をして、それぞれの戦績に見合った実力を身に着けた結果だから、「勝つべくして勝った」と言う事だと思う。

 柔術をやっていると「エンタメ欄」でかつて紹介された芸能人の大半が今はBJJを辞めている事を思うと、岡田さんの試合結果ではなく、これまでの努力の積み重ねに対して敬意を表したい。

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藤田 正和
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