日本人はムンジアルでなぜ勝てないのか?

1 BJJの公式試合の中で最高峰と位置付けられるのがムンジアル(IBJJF主催の「柔術世界選手権」)である。
 BJJに馴染みのない読者のために少し説明しておくと、BJJの公式試合はルースター(57.5キロ以下級)から・・・大体6キロ刻みで・・・ウルトラヘビー(100.5キロ以上級)までの体重別8階級にアブソ(無差別級)を加えた全9階級で男女別にトーナメント制で行われる(注1)。
 20年余りのムンジアルの歴史の中で、日本人が優勝したのは2015年~2018年にかけてルースター(&ライトフェザー)級を四連覇した湯浅麗歌子選手だけである。
 私は「自分が試合に勝てない」事を承知しているので、公式試合には出ないし、プログラップリング以外のギの試合はまず見ないが、日本の柔術村の中で毎年ムンジアルが終わる度に「どうして日本人はムンジアルを獲れないのか?」という非難とも落胆とも取れるような言葉が繰り返されるのを聞いていると、「今は日本人がムンジアルで勝てなくても無理もない話だ」と感じている。
 試合に出ない&勝てない人間にムンジアルの事を語る資格があるのか?と言われそうだが、試合に関わらないで柔術をやっているからこそ見える事もあると私は考えている。本稿では、個々の選手や試合の技術論を離れて(というより、それらについては私は語る資格も能力もないと自覚している)、日本の柔術村の抱える構造的な問題点とされるモノについて考えてみたい。

2 以前も書いたが、BJJの公式試合ではステロイドの使用が大きな問題となっている。次の記事を読んで頂きたい(google翻訳で充分である)。
 https://grapplinginsider.com/kade-ruotolo-if-i-were-to-roll-with-gordon-i-dont-think-he-can-heel-hook-me/
 https://mmaplanet.jp/136050
 ポイントとなる箇所はインタビュー中のルオトロのこの発言である。
「ステロイド・フリーの大会で「ナチュラルなのは僕とタイ(ルオトロ)、ロベルト・ヒメネスの3人だけ」」。
 この発言が真実であるならば、グラップリングの世界最高峰の試合であるADCCでほぼ全ての出場選手がステロイドを使用していることになる。また、ADCCに出場する選手のほとんどがムンジアルに出場している事を考えると、ムンジアルに出場しているトップ選手の大半がステロイドを使用していると考えるのが論理的には素直である。実際、今年(2022年)のムンジアルのミドル級の優勝者は、ADCC77キロ級で上のルオトロに敗れたミカ・ガルヴァオである(ルオトロはミカに敗れて2位)。
 ある海外の試合実績のあるジムでは、非力な子供の内はテクニックを徹底して覚えさせ、16くらいから毎日ステロイドをお尻に注射して、コンペティションチーム内で生存競争をさせるそうである。
 こうした非人道的で人間を闘鶏と同じ扱いにするような選手育成のあり方に私は賛同できないが(そのジムのインストラクターは我が子に同じことが出来るのだろうか?)、現実にそれだけステロイドが公式試合で蔓延している事実はしっかりと認識しておく必要があるだろう。
 そうした事実認識を踏まえてか、ある日本の柔術ライターが「日本人も世界で勝ちたかったらステロイドをやれ!」と言ったらしい。
 だが、ステロイドをやりさえすれば日本人はムンジアルで勝てるようになるのだろうか。
 最近のプログラップリング(WNO・BJJSTARS・SUG)を見ていると、海外の(=アメリカやブラジルの)試合におけるテクニックのトレンドとして、柔術の「ジャケットレスリング化」「レッグロックゲーム化」を挙げることが出来る。
 オリンピック競技としての「レスリング」については全くの専門外なのでそれとの対比で語る事は私には出来ないが、相手を倒して上になるため(クリンチワークを含む)レスリング的な動きやレッグロックをセットアップするためには力がある方が圧倒的に有利である。
 だから、今のトレンドに合わせて世界の公式試合に勝とうとするなら、日本人も世界で負けないフィジカルを身に付けるためにステロイドを使用する事もひとつの合理的な選択ではあろう(この際、副作用の問題や試合の公平性の問題は考えない事にする)。
 だが、ステロイドを使用するだけで日本人がムンジアルで勝てるとは私には思えない。フィジカルで世界に負けなくても、ルールと技術に関する圧倒的な情報格差が日本とアメリカやブラジルの間には存在するからである。

2 ここ数年のプログラップリングのアメリカでの隆盛を見ていると、今後BJJの中心地はブラジルからアメリカに移行するように思えてくる。
 勿論、今後もムンジアルのメダルの多くをブラジル人が獲得する光景は変わらないと思うが、IBJJFの本部がアメリカにあり、ルールが頻繁に改訂される状況を見ていると、ルールメイカーたるアメリカで練習している選手が有利になるのは当然だろうと思う。
 大変分かりやすい例として、去年からWNOの隆盛を受けて後追い的にIBJJFでも茶黒のノーギに限って「ニーピーリング・ヒールフック」が解禁された。それまでニーピーリングやヒールフックを反則として練習していなかった日本人選手とグラップリングの中で日常的にそれらを練習していたアメリカやブラジルの選手との間にルール改定直後に大きな差が付いた事は想像に難くない。新しくヒールフックを覚えなければならない人々とそれまで自分達が当たり前のようにやって来た事を試合ルールに合わせて制限する必要がなくなった人々とではどちらがより有利かを考えれば自明である。
 また、新しい技術はアメリカのプログラップリングシーンから生まれている。ルオトロの開発した「バギーチョーク」(注2)はその好例である。
 そうした新しい技術、最新のトレンドを知らなければ、ムンジアルに出る日本人選手は既に情報戦で負けている。YOUTUBEの動画にUPされる頃にはその技術はアメリカでは一般化されていると思った方がいいだろう。
 だから、ムンジアルに本気で勝ちたいと思うなら、日本人もアメリカに行くべきであろう。
 しかし、それにも難点がある。以前、ある大きなジムのインストラクターの方に話を伺う機会があったので直接聞いてみたのだが、「(リダ・)ハイサム(注3)はどうしてもっと有名なジムではなく、(同門の)デヴィッド・ガルモの道場に行ったのですか?」と問うと次のような回答が返ってきた。
 「ニューヨークで生活するとなると年に1000万円はかかるし、それにジムのレッスン料を払うとなるととてもアルバイトでは食べて行けないから、デヴィッドの道場でインストラクターをしつつ、プログラップリングの賞金で生活基盤を立てようとしたのではないでしょうか」
 そう、アメリカで柔術を練習しようと思ったらどうしても先立つものが必要である。この記事などもその証左と言えるだろう。
 http://btbrasil.livedoor.biz/archives/2022-10-07.html
 平田選手もハッキリと「海外への渡航資金を稼ぐため」と言明している。日本人の柔術選手が必ずしも金銭的に(少なくともアメリカのジムに所属する選手と比較して)恵まれていない話については別稿に譲るが、日本の黒帯のトップである平田選手ですら渡航費用を捻出するために苦労しているのである。
 こうした選手を本当に支援しようと思うなら、クラウドファンディングを利用して渡航資金を集める仕組みを作ってはどうかと思う。現に他のオリンピック・パラリンピック競技の選手では、練習費をクラウドファンディングで集めている例がある(注4)。

3 さて、これまでステロイド問題、日米の情報格差について書いてきたが、「日本人がムンジアルで勝つ」ためにはどうしても見過ごせないもう一つの点がある。
 それは今日本のトップにいる選手とアメリカやブラジルのトップ選手との間にはBJJを始めた年齢に決定的な差があるという点である。
 冒頭に挙げたルオトロは3歳から、ミカは2歳、現在プログラップリングシーンを牽引するスター選手の一人であるマイキー・ムスメシですら4歳である。
 今の日本人のトップ選手は柔道からの転向組であれば20代、BJJ一本でも10代から始めるのが大半である。
 以前も書いたが、私見によれば柔術は練習量が実力に直結する。5歳になる前からBJJの練習をしている海外の選手と早くても10代から練習を始めた日本人選手との間では練習期間に10年の開きがある。これは一日3部練しようが埋めようがない差だと言わざるを得ない(海外の選手も同じくらい練習してる訳だからその差は縮まらないだろう)。
 だから、私としては「ムンジアルで日本人が勝てない」のは選手個人の努力や才能の問題ではなく、日本の柔術村の抱える構造的な問題だと思っている。
 今の日本のトップ選手と海外のトップ選手との間に幼少期からの練習量の蓄積の差があるからと言って嘆く必要はない。日本のトップ選手は練習量が追い付くワールドマスターでは必ず結果を出せるようになるはずである。
 また、昨今のキッズ柔術の盛り上がりを考えると、幼少期からBJJに親しんだ日本人選手がムンジアルを獲る日も10年先・20年先を考えればそう遠い話ではないと思っている。
 「またムンジアルで負けた」と日本人選手をくさすのは止めた方がいい。

注1)女性の体重によるカテゴリー分けは上限が男性と異なるが、ルースターからスーパーヘビーまでの7階級にアブソを加えた8階級で行われる。
注2)https://www.youtube.com/watch?v=0_3YYrWEGoU 去年はバックからの「パーム・トゥ・パーム・チョーク」が流行ったが、今年の代表は「バギーチョーク」だろう。来年以降もまた新しいテクニックが生まれるに違いない。
注3)2020年にアメリカに移るまで日本国内ではほぼ無敵だった選手である。https://www.bjjheroes.com/bjj-fighters/rida-haisam
注4)https://readyfor.jp/projects/19681ptkd110
注5)ケイド・ルオトロ https://www.bjjheroes.com/bjj-fighters/kade-ruotolo
 ミカ・ガルヴァオ https://www.bjjheroes.com/bjj-fighters/micael-galvao
 マイキー・ムスメシ https://www.bjjheroes.com/bjj-fighters/mikey-musumeci

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藤田 正和
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