時を刻む
1 G-SHOCKという腕時計を愛用して20年近くになる。さすがに1度は壊れて買い換えたが、2代目も10年近く現役だったのに、とうとう二次電池の寿命が切れたのか、デジタル表示が出なくなった。
私がまだ学生の頃になるが、ナイキの「エアマックス95」が爆発的にヒットして、裏原宿で「エアマックス狩り」が横行したり、バイヤーがアメリカの片田舎のショッピングモールで「エアMAX95」を履いていた少年を見つけて、その場で交渉して買い付け、少年は裸足で帰っていく模様を撮影したTV番組が流れたりと、今では想像もできないほどのブームになっていた。たしか、「エアMAX95」一足で5万とかいう値段が付いていたと思う。
当時の「エアMAX」ブームの陰で、G-SHOCKも流行し、「イルカ・クジラ」モデルが発売された時は、とあるセレクトショップに併設されたG-SHOCKの店には朝から長蛇の列が出来ていたのを報道で見た記憶がある。
私が最初にG-SHOCKを手に入れたのは、それからしばらく後の事であるが、大学の同級生には夏休みにバイトして稼いだお金でROLEXのGMTを購入した猛者もいて、「随分と背伸びをするなあ」と思ったものである。尤も、自分で働いて得たお金で何を買おうが、原則として個人の自由つまり自律的な選択に委ねるべきだと今では考えているから、同級生がROLEXを買った事を非難する気は毛頭ない。むしろ、当時は円高で機械式時計は今よりずっと安かったから、彼が今でもGMTを使い続けているなら、かなりお得な買い物をしたとすら言えるだろう。
G-SHOCKに話を戻すと、当時は電池式で丈夫さが売りだったが、その後電波式(時刻設定)・ソーラー式(電池)と機能が増えて、私の2代目はそれらの機能を備えているから、購入してから一度も電池交換したことすらなかった。
2 ただ、デジタル表示の出なくなった2代目G-SHOCKを実際に着用しているか?と聞かれると、ここ数年一度も身に着けていないことに気付いた。
PCで作業をしている時はディスプレイの右下に時刻表示が出るし、PCをシャットダウンしても部屋にはホームセンターで購入した安いソーラー式の置時計がある。外に出てもスマホの画面を見れば時刻はすぐに分かる。
そう、今や腕時計の本来的な用途であった「時刻を知る」という計時機能は、平時には腕時計がなくても十分事足りているのである。
実際、私の周りで腕時計をしている人はほとんどいない。道場に来る若い子に聞いてみると、腕時計を持つ理由が分からないらしい。
20年前は一種の社会的ステータスを誇示する道具として、あるいは、ファッションとして機械式時計をする人がいたが、今現在腕時計をするという行為は、「時刻を知る」ために腕時計が必ずしも必要ないという現状に鑑みると、ほぼファッションとして持つ人に限られているのかもしれない。
ただし、そうした社会的ステータスを誇示する道具ないしファッションとしての時計の「表象」機能は、宝石と同じで、その「表象」するモノに興味がない人には無価値である。少なくとも、私が道場で一緒に稽古している若者たちにROLEXを見せたとしても、たぶん誰も関心を示さないと思う。
そう考えると、腕時計はもはやごく一部の層以外には必要のない前時代の遺物になりつつあるのかもしれない。
「時計」は「時を刻む」ものであるが、刻まれるのは「今現在」だけではなく、これまで刻まれてきた「過去」とそれにまつわる思い出も含まれる。
そう考え直して、手持ちのG-SHOCKを修理に出す事に決めたのだが、本稿を執筆している間にG-SHOCKを太陽光に当てていたら、再びデジタル表示が出るようになった。修理に出すのはまた今度にしよう。