競技柔術の盲点
1 貴方が「スパイダーガード」に囚われたと仮定しよう。さて、どうしようか?「ブラジリアン柔術」を経験された事のない方にとって、本稿は意味不明かも知れないが、経験者の方には読後に好悪どちらかの印象を与えると思う。
話を冒頭の思考実験に戻す。「スパイダーガード」に囚われたから、例えば次のようなテクニックを使って「ガード」を「パス」しようと言うのが、一般的な回答になるのだろう。
「スパイダーガード」は「パス」の仕方が分からない初心者泣かせの技術である。私も白帯の頃は、上の動画にあるような「パスガード」の公式を覚えて、上のレベルの帯の人の「ガード」をパスしようと悪戦苦闘し、勇戦虚しく一本を取られ続けていた記憶がある。
本稿では「スパイダーガード」をめぐる攻防を例に、競技柔術的な発想ないし思考の盲点をあぶり出して見たい。
2 誤解のないように言っておくと、私は「スパイダーガード」を全く使わないし、使えないが、それでも「スパイダーガード」がオープンガードの技術として大変有用である事は否定しない。
上の記事にもあるように、ヒクソンでさえ「スパイダーガード」に初めて接した時には全くパス出来なかった。
だから、「スパイダーガード」のパス公式を覚えてそれに対処しようという発想は(自分も経験してきただけに)良く分かる。
だが、ここで「スパイダーガード」を「パス」しなければならない、という発想そのものに疑問を呈してみたい。一見するとかなりの暴論に聞こえるかと思うが、もうしばらく我慢して本稿を読み進めて欲しい。
「スパイダーガード」もオープン「ガード」の技術の一種である。「スパイダーガード」を使用しているボトムの人間は、字義通り防御姿勢を取っている。本来ならば、トップの人間は、防御姿勢を取っているボトムに対して、オフェンスを仕掛けるか否か、言い換えると、そもそも「パスガード」を仕掛けないという選択肢があるはずである。
この点、「スパイダーガード」は相手がパスしようと前に出てくる事を想定して組み立てられている技術である。
何も知らない相手が前に出てくれば、「スパイダーガード」から次のようなテクニックでひっくり返されたり、三角締めに取られたりするだろう。
逆に言うと、「スパイダーガード」の最良の対処法は、こちら(トップ)が正座ベースを取って、頭を上げて背筋を伸ばして強い姿勢を作り、「何もしないで、相手(ボトム)が疲れるのを待つ」事だと思う。
「いや、それではルーチ(待て)が来るではないか?」という反論があるだろうが、そういう反論をする人はその時点で競技柔術の思考法に強く染まっていると考えてよい。
日々の練習を積み重ね、試合で勝つ事は素晴らしい事だと思うが、それは「柔術」の一側面でしかない。「スパイダーガードはパスしなければならない」という固定観念があるからこそ、初心者はそれをパスしようとして失敗し、サブミットされるのである。
「スパイダーガード」の対処に苦労しておられる方がいたら、まずは自分が強い姿勢を作って、相手(ボトム)が自分から仕掛けてミスをする、あるいは、動き疲れて「ガード」を機能しなくなるのを待ってみて見る事を「一度は」勧める。
「スパイダーガード」に捕っているボトムの側から動いて、強い姿勢を作ってじっとしているトップを崩すのは大変難しいし、著しく体力を消耗する。
「ブラジリアン柔術」に熱心な若い人の多くは、「オープンガード」の攻防が大好きである。「オープンガード」の攻防は、数多くの技術があって、純粋に知的好奇心の観点から見ても面白いとは思うが、そのほどんどが「トップがパスしなければならない」という暗黙のコード(お約束)を前提にして成り立っている。
「ガードをパスしなければならない」というコードを誰が決めたのだろうか?試合でルーチがかかるからだとしたら、貴方の柔術は連盟やDUMAUの存在を当然視している事に気付いて欲しい。
連盟やDUMAUの試合に出る上で、そのルールを押さえておく事は必須だが、公式試合のルールを前提にした技術は、もしも連盟やDUMAUが無くなってしまえば、全く役に立たない、何の価値もないモノに成り下がってしまう。
少なくともグラップリングやMMAでそれらの技術は使えないし、もっと言うとセルフディフェンス・護身術としては何の役にも立たない。
アスファルト上で暴漢に襲われて、貴方はいきなり引き込むのだろうか?何度も繰り返すが、私は競技柔術の価値は否定しない。だが、それが柔術の全てだ思っている人がいれば、「もう少し視野を広げて、もっと自由に柔術と向き合ってみてはどうか?」と勧めたい。
追記・コメントを頂いたので、「オープンガード」にどう対処すべきか?という点について、私の印象に強く残っているB・ファリアの話を付言しておこう。
ベルナルド曰く、「トップの人間は「パスガード」の際に立っている(=スタンディングベースを取っている)から、デラヒーバガードに囚われたり、50/50に入られたりするんだ。トップを取ったら、まずは座ってみよう(=正座ベースを取る)。そうすれば、デラヒーバも50/50もベリンボロも喰らう事はありえないじゃないか!」
そして、「正座ベースのトップに対しても、ボトムはスパイダーガードに入る事が出来る。だから自分が正座ベースになっても、スパイダーガードをどうパスするか?は考えなくてはならない。」そこで、彼は「スパイダーガード」(下の動画では「ラッソーガード」)に対して次のように「オーバーアンダー・パス(いわゆる「噛みつき」)」を仕掛ける事を勧めている。
「オーバーアンダー・パス」を仕掛けるかは別にして、ベルナルドの言うようにトップを取って、まず正座ベースを取れば、競技柔術で勝つために考案された「オープンガード」の大半を無効化出来る。
そういう意味では、「オープンガード」の技術の多くは、「立ち姿勢からパスする」というコードに暗黙の了解があるから成り立っているのである。
ここで、「ムンジアル」が開催される前の時代のヒクソン・グレイシーとヒーガン・マチャドの試合動画を見て欲しい。
この試合では、90年代以降に開発された「スパイダーガード」も「デラヒーバガード」も存在しないが、それでもこの試合を見て「このスタイルでは今の競技柔術に通用しない」と言える人が一体どれだけいるのだろうか。
当時のヒクソンのスパーリング動画も見てみよう。
このスパーでは、お互いいわゆる「オープンガード」をほぼ全くと言っていいほど使用していない。「グレイシー柔術」だけが柔術の全てだと私は思っていないが、「オープンガード」の各種テクニックはIBJJFが設立され、「競技柔術」のルールが定められた事に伴って、「ルールの枠内で勝つための技術として発展してきた」という点は押さえておいて欲しい。
「スパイダーガード」は柔術を稽古する上で必須のテクニックではないのである。