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勝負度胸のつけ方 ~日本三大秘境 祖谷渓『ひの字渓谷』旅日記~

いざ、祖谷渓へ

徳島県の祖谷渓といえば、かずら橋を筆頭に渓谷美の名所として有名です。とはいえ、新緑の季節でも紅葉の季節でもなく、決して見どころが多いとは言えない時季に訪れたのには理由があります。
と言うのも、2歳の息子ショベルくんが溶連菌に感染し、治療開始後24時間経てば感染力を失うようではあるが、かといって人混みに行くのも憚られ、しかし家でいても昼寝をしてくれず夜に暴君に変身してしまうので、車で寝かしつけつつショベルくんが体力を消耗し過ぎないようなレジャーに出かけようということになったわけです。
 
正午に丸亀市を出発し、まんのう町のうどんの名店『山内うどん』にーー行ってみたものの残念ながら「売り切れ」の看板が。ショベルくんも寝たことだしそのまま祖谷へ向かいます。

食事処 祖谷橋

14時。息子が目覚めたのはもう祖谷渓が目前の位置。ちょうど目の前に蕎麦屋があったので寄ってみます。
祖谷渓に北からアプローチする際に通る、徳島県の誇る一級河川、吉野川に架かる橋の袂にあるこの蕎麦屋は『食事処 祖谷橋』。渓谷とまでは行かないものの、豊かな水量の吉野川からかなり高く切り立った地形で、景観もなかなかのもの。

この辺りの名物の祖谷そばは、祖谷の清らかな水で打ったもので、麺は太く、切れやすいのが特徴なんだとか。
私は山菜そばをいただきました。出汁は生粋の讃岐人も納得の香り高さ。そしてそばはしっかりしていて食べ応えがあります。

ショベルくんもゴキゲンに天丼とおでんを食べ、大人の真似をして「すいませーん!」と店員さんを呼びます。用はないんです。本当にすみません。

配膳をしてくれる店員さんも、客席から見える厨房の店員さんも、私たちの席の横を通った3組ほどの他のお客さんも、漏れなく全員が息子に手を振ったり笑いかけたりしてくれます。人柄というか、店柄がすごく温かい。令和の日本にこんな店があるんだと思うと嬉しいような、申し訳ないような気持ちになります。

秘境に入る

さて、腹ごしらえをして祖谷渓に入ると、緩やかな登り坂と山道の定番、九十九折のカーブが続きます。
対向車とすれ違うのが難しい難所が続き、ゴツゴツした剥き出しの岩壁の反対側は下を見たくもない崖。落石注意の標識に、実際に所々で転がる小さな岩。
危険を告げる「重大事故発生現場」の看板は何かにぶつかられたのか、ボコボコである。

秘境にやってきた、という感じがします。ちなみに祖谷渓の名物は山椒魚と雨子なんだとか。

名物 小便小僧

途中にはかの有名な小便小僧がいます。
小便小僧をネットや観光情報誌でしか見たことがない人はウケ狙いの低俗な像だと思うでしょう。私もそうでした。

しかし、実際に見てみると、これは度胸やら胆力やら人の小ささやらをコミカルに表現した芸術なんだろうと思えてくるのです。
言い換えるとこの像は、人の命なんて問題にならないほどスケールの大きい自然を前にして、下半身をまるだしにして、さらには放尿などできるだろうか、否、できはしない。そう訴えてくるわけです。
受け取るものは人それぞれだとしても、やはり大自然との対比を目の当たりにしなければ真に小便小僧と向き合うことはできないのだと思います。

ちなみに妻のステアちゃんに言わせると「おじょもみたいなものかしら」とのこと。おじょもとは私たちの地元、香川県に伝わる伝説で、飯野山ともう一つの山に足をかけたおじょもが小便をすると土器川という川になったんだそうな。

ひの字渓谷

さて、もう少し奥に進むと目的地のひの字渓谷に着きます。何かそれらしい看板やイメージどおりのよくある展望台があると思ってはいけません。強いて言うなら小さなバス停です。私は一度通りすぎて引き返しました。
 
有名なかずら橋を含む祖谷渓は剣山から流れ出る祖谷川が四国山地を鋭く刻んでできた渓谷で、ひの字渓谷はその中でも祖谷川が「ひ」の字の形にカーブしているポイントのことです。この「ひ」の字のまん中の部分からの眺望。
 
圧倒されました。
 


例えば快晴の日に原っぱに寝そべって空を見上げると空の広さ大きさに圧倒されますが、それとは違います。
田舎でバスケをしている少年が全国大会に出場することになり、代々木の体育館に足を踏み入れるとまず体育館の中の大きさに圧倒される、そんな感覚です。

永い年月をかけて大山を削り取ってできたこの渓谷は、眼前の山並みを対象物として、区分することが可能な「空間」として脳に襲いかかる。
おそらくはそれを「空間」として認識していいのか、空のようにもはや相対的に認識する必要があまりないものとして扱うべきなのか分からず脳の処理能力を超えてしまい、「空間」における自身の位置も体勢も把握することができなくなってしまうのではないでしょうか。そのような通常有り得ない体験をすることになります。

勝負度胸のつけ方


さて、代々木の体育館を例に挙げましたが、スポーツにせよ、文化芸術活動にせよ、ビジネスにせよ、大舞台で本領が発揮できない時の原因の一つは、大舞台そのものの空間的大きさにあるのではと思います。
日頃体験することのない大きさの空間に生身で入ると、一時的に自分自身を見失うことになります。文字通り浮き足だったまま試合が始まれば何が起きるかは想像に難くない。空間は想像以上の難敵なのです。

ここで、大舞台を前にした勝負度胸のつけ方に繋がります。
このひの字渓谷の「ひ」の字のまん中は、中・遠距離に連続した巨大な山が連なり、人間の空間認識能力を拡張するのにうってつけのように思います。シーズンでなければ休日でも人は少ない。この渓谷で空間に圧倒され、腹の底から「ヤッホーーー!!!」でも何でも声を出し、自分の身体と対話することができれば、来る大舞台でのパフォーマンス向上に資するのでは、と思います。


以上、ひの字渓谷旅日記でした。今回はひの字渓谷を見て帰りましたが、もう少し奥に行けばかずら橋です。行かれる方は山道にお気をつけて。

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