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【温故知新】創業者の遺した言葉を咀嚼・吸収してみる♪(17/30)

縁あってこの会社に入って、創業者が遺した多くの(多すぎるかも 🤔)言葉に触れた。私自身はそうでもないが、社員の多くの方はその言葉に心から共感していて驚いた。
折角なので、これらの言葉を私なりに&今の時代に照らすとどういう事なのかを考えてみる。それは私がずっと日系企業かついわゆる大企業と仕事をしている理由かも知れないが、日本はもともと創業者含めイノベーティブな起業家や企業が多く存在し、世界の生活を豊かにすることでさらに成長してきたのに今はそうできていないのはなぜか?もっとできるのではないか?に挑戦し続けているから。

ネタはここから。では、17個目。

「青春とは心の若さ」
青春とは心の若さである
信念と希望にあふれ勇気にみちて
日に新たな活動をつづけるかぎり
青春は永遠にその人のものである

これは私がある詩からヒントを得て、座右の銘としてつくった言葉である。当然ながら、人はみな毎年、年をとってゆく。それはいわば自然の掟である。しかし私は、精神的には、何歳になろうとも青春時代と同じように、日々新たな気持ちを持ち続けることができるはずだと思う。その精神面での若さを失いたくないというのが、かねてからの私の強い願いなのである。

松下幸之助 30の言葉

私は今回この言葉を初めて知りました。そもそも青春って何なんですかね?普通の定義だと「若い時代。人生の春にたとえられる時期。希望をもち、理想にあこがれ、異性を求めはじめる時期。」という感じでしょうか。一方で

  青春とは人生のある期間ではなく心の持ち方を云う。
  薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、
  たくましい意志、ゆたかな想像力、燃える情熱をさす。
  青春とは人生の深い泉の清新さをいう。

  青春とは臆病さを退ける勇気、
  安きにつく気持を振り捨てる冒険心を意味する。
  ときには20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。
  年を重ねただけで人は老いない理想を失うとき初めて老いる。
  歳月は皮膚にしわを増すが、熱情は失えば心はしぼむ。
  苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い精神は芥にある。

  60歳であろうと16歳であろうと人の胸には、驚異に惹かれる心、
  おさなごのような未知への探求心、人生への興味の歓喜がある。
  君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。
  人から神から美・希望・喜び・勇気・力の霊感をうける限り君は若い。

  霊感が絶え、精神が皮肉の雪に覆われ悲嘆の氷に閉ざされるとき、
  20歳であろうと人は老いる。頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、
  80歳であろうと人は青春にして已む。    
        ──サミュエル・ウルマン

という言葉もあり、創業者はこっちの意図で「青春」という言葉を好んで使っていたみたいですね。主に好奇心とか冒険心に代表されるように知らないという事をリスクやネガティブなものと捉えない、あるいはネガティブな要素はありつつも、だからこそ知りたいとか見てみたいと思う気持ちが勝つ状態が維持されている限り、それは青春の中にいるという事なんでしょうね。創業者は経営の神様といわれるくらい様々な事業や経営で成功を収めてきた方でしたが、その中でも多くの失敗や見込み違いもあったはずです。「成功するまで続けないから失敗するんだ」という言葉を遺しているので、本当に失敗してないのかも知れませんけど(笑)
先日、私の尊敬する先輩の方がやられているラジオ番組を聴いてそこにゲストで来られていた方(徳武産業経営者)が「事業経営を考えるとき、それは下りエスカレーターに自分たちは乗っている前提で考える」と言われていて、なるほどと思いました。現状維持は衰退であるという言葉はよく聞く言葉ですが、下りエスカレータってのはわかりやすい例えですね。おそらく創業者もそれを一番恐れていたのではないですかね。だからこそ、常に信念に基づき好奇心と冒険心を持って活動に情熱を傾けることを大事にしたのでしょう。

この実践はかなり難しいですよね。頭では分かっていても、自らの経験や知識をベースにしすぎて、変化をネガティブに捉えて機会を見逃したり、それにより学ぶことができなかったりしているのが現状ですよね。私は自分自身の思考のトレーニングとして「常識を1つ外す」ってのをやってます。もっと正式な方法論とかあるのかも知れませんが、あくまで我流のもので何かを考えるときに現状「当たり前」な何かを当たり前でなくして考えてみるんです。例えば、コロナでずっとリモートワークだった時、いろいろな物の購入もECだったし、それらは宅配業者の皆さんに届けていただきました。あるECサービスばかりを使っていたのですが、その宅配は業者A、業者B、業者Cでバラバラ実行されるんですよね。「そりゃ、ECサイトはいろいろなメーカーや業者さんの商品の陳列棚なので、その商品を提供する業者の方がどの物流業者を取引しているかで変わるよね。」っていう当たり前のことなんですが、ユーザーである私からすると「まとめて持ってきてよ。テレカン中に何度も中座しないといかんやん」って思ってました。例えば、業者ABCの地域集荷場から最終顧客のところへのお届けだけを実施する地域密着型サービスがあったら?なんてアイデア創出になったりするんですね。まぁこのままだと事業として成立するかどうかは分かりませんが、「当たり前を疑う」というのは1つの訓練方法じゃないかと思います。

次回は、「自己観照」を消化してみます♪
では、また~

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