#番外編 災害医療ボランティアに参加してきました。
今日は東日本大震災から13年となりました。
東日本大震災により犠牲になった方々の御霊にこころより哀悼の意を表しますとともに、今なお避難生活を続けられている皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
また年始に発生した能登半島地震により被害にあわれた方々に改めて心よりお見舞い申し上げます。
さて、ここからは私の能登半島での災害医療ボランティアの経験をもとに書き記していきたいと思います。
私は1月下旬と、2月中旬に輪島市にて災害医療ボランティアとして活動しました。
私自身の見解も含まれるかと思いますが、一個人の意見としてお読みいただければ幸いです。
また、伝えたいことがありすぎるので、複数に分けて記載していこうと思っています。
お付き合いいただけたら幸いです。
災害医療ボランティアとは
まず初めに災害医療ボランティアとはなにをするのか…
被災された方に向けた医療や福祉における支援を指します。
主に亜急性期から慢性期に活躍する看護師、医師、介護士、栄養士といった医療資格をもつボランティアです。
災害の急性期の支援に関しては医療機関からD-MATやT-MAT、NHOといった救命救急医療の医療従事者が派遣されます。
震災により大けがを負った方や急を要する治療を必要な方たちをトリアージし、適切な医療につなぐサポートをしています。
一方で、日常的に介護が必要な方や慢性疾患をお持ちの方、精神的な支援が必要な方は急性期医療には該当しません。
そのため、行政から指定されている避難所や団体が自主的に立ち上げた福祉避難所で生活していることが多いです。
そういった方々に向けて、災害医療ボランティアが日常生活(入浴、食事、排せつ等)の支援、身体能力の維持や疾病の悪化予防(内服状況や食事管理の支援など)、心のケアなどを実施します。
また、健康で暮らしていた方に対しても、避難所の清潔・衛生維持のための支援や震災による精神的ストレスへのサポートなどを実施します。
実施する内容としては多岐に渡り、その時のニーズに合わせた支援を行政職員や他のボランティア団体、治療チームと連携しながら支援していきます。
業務内容が決まっておらず、流動的に動くことが災害支援の特徴です。
災害医療ボランティアに来る方はそういった活動をしているボランティア団体から派遣されます。
今回私はSNSで募集が出ていたところに応募して行きました。
普段は自分の仕事の合間をぬって行っている方、仕事を休まれていらっしゃっている方、フリーランスとして活動している方など多種多様で、住まわれている地域も様々です。
ボランティアなので、交通費、生活費はもちろん自分で負担します。
私自身、食事や寝袋、防寒具など必要なものを揃えて向かいました。
一方で、拠点は各団体様が用意してくださり、大変手厚いサポートをうけました。
期間は人に応じて異なります。私は5泊程度を2回行きましたが、1か月滞在されている方もいらっしゃいました。
今回の被災地となった奥能登は交通の便が悪く、通常時でも金沢から車で3時間程度かかる場所にあります。加えて震災と雪の影響で4時間以上かかったため、現実的に短期間の参加は難しい状況でした。
私が災害支援に携わりたいと思った理由
結論としては「少しでも人が健康であってほしい。私が力となるならば。」と思ったからです。
元旦に地震を体感して、「あ、これはやばいかもしれない。」と思いました。
同時に看護師として中堅といわれる立ち位置になっていたことから、今ならできることはできるかもしれないとも思いました。
個人的に自由に動ける環境にあったことも大きな理由ですね。
東日本大震災を契機に人のために支援したいと思い看護師資格を取った私にとっては今回こそはとの思いが強かったです。
西日本豪雨のときも、熊本地震のときもなにもできなかったので…。
震災って偶発的なものですが、人には大きなダメージを与えますよね。
家が失われるショック、亡くなった人への気持ち、将来の不安、地元が無くなる悲嘆など想像では図りきれないものがあります。
人であるからこそ窮地のときは助け合って、皆が心身ともに少しでも健康にと願っての行動でした。
もう一つの理由
これだけ読むとめちゃくちゃ「いい人」に見えます。
しかし、私が支援に向かった理由はこれだけではありません。
私自身が私と向き合って、自身を確立したかったんだと思います。
年末にショックな出来事があり、アイデンティティを見失っていました。
私が本当にやりたかったことはなにか、私の原点に還りたかったんですよね。
知らない人たちと、今まで関係がなかった方々に向き合って、私の価値観や信念を再思考したかった。
そして自分の実力を確かめたかった。
これが大きな動機付けとなっていました。
結果論となりますが、この経験は私自身に大きな影響があり、アイデンティティの確立につながりました。
将来設計やイメージが明確になりました。
貴重な経験をさせていただいたことに、関係者の方に大変感謝をしております。
長くなりましたが、ここまでが災害医療ボランティアと私自身についてです。
輪島市の現状について次章からつづっていきたいと思います。
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