グローバリズムと反グローバリズムという名のナショナリズムに共通する全体主義性
最近、グローバリズムと反グローバリズムの戦いみたいな言説を見かけます。確かにグローバリズム、つまり国連中心主義、パンデミック条約などは個人の自由を奪う流れなのは私も認めます。しかし反グローバリズムを掲げる人たちは自国独自の文化を維持すると主張しますがならなぜナショナリズムを名乗らないのでしょう?ここからは私の推測ですが反グローバリズムという名のナショナリズムを名乗るとグローバリズムという名の全体主義と戦って自由を守るという大義名分に矛盾が生じるからでしょう。実態はどちらも全体主義で国際機関が個人の自由を奪うか政府が個人の自由を奪うかの違いしかないのだから。違うというのならナショナリストの人達は自国独自の文化をどういう基準で規定してどうやって守るのでしょうか?洋楽を聞くのは自国の文化ですか?ディズニーランドは自国文化ですか?歌舞伎とアニメはどちらがより自国文化ですか?iPhoneは自国文化ですか?恣意的に自国の文化と他国の文化を規定して個人の活動を排斥することにつながるでしょう
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