見出し画像

「シン」の系譜1-3

2つの養生訓

 元禄文化が栄えた時代には、松尾芭蕉が「新しみ」の価値を説いていた。それは創造性や新鮮味を伝える日本語「新」の、比較的初期の用法だったと考えられる。ただし世間的には、まだまだ伝統的な言い方が主流だった。鮮度を伝える「新し」は大して普及せず、依然として昔ながらの「珍し」や「あざらけし」などが主流だった。最先端の文芸をめぐる議論の場では、新しい意味が誕生しそうな機運が芽生えていても、芸術性と無縁の日用会話ではその必要性が感じられない。元禄年間に続く宝永年間に書かれた、貝原益軒の予防医学書『養生訓』(正徳3年、1713成立)にある記載もまた、例に漏れなかった。
 戦乱の世が収束し、太平の江戸時代をむかえると、健康をめぐる人びとの考え方にも変化が見られた。技術的な発達によって暮らし向きが改善され、以前よりは飢饉の心配も減ってきた。戦乱に巻き込まれて急死する事例は、激減していた。世の中は先々に進むほど堕落するといった下降史観も、以前ほど聞かれなくなった。そうなると個人的に節制を心がけ、健康管理に努めるなら、ある程度の長生きを見込めるようになってきた。常備薬や置き薬なども元禄の頃から発達し、そうした健康志向の高まりを背景にして『養生訓』が世に送り出された。
 予防医学の視点から日々の健康法を論じた『養生訓』で、益軒は食事法を重視した。古くなった食材を避けるべきことを強調し、新鮮味をあらわす場合には「鮮らかなり」や「鮮らけし」といった昔ながらの言葉を用いている。元禄期の「新し」には、まだ鮮度が意識されていなかったことが暗示されている。
 生魚の調理法を述べた箇所に、「あざらけし」が出ている(巻3「飲食」上)。「生魚あざ(鮮)らけき」ものに少し塩を振り、1日か2日ほど日干しにしてから少しあぶる。それを薄切りにして、酒に浸してから食べるとある。最初に「生魚」の「あざらけき」ものと書かれている。今でいえば鮮魚だが、それを「新鮮」と表現していないだけでなく、「新しき」魚にもなっていない。それが益軒の頃の標準的な「新し」だった。
 胃腸が弱っているときには、温かいもの、柔らかいもの、よく熟したものなどを食べるよう勧めている。全部で10項目以上並べてある中に「きよ(清)き物、新しき物、香よき物」と出ている。今なら全部まとめて「新鮮な」ものと表現できるが、当時はまだ「新鮮な」というコンパクトな日本語が定着していなかった。そのため「きよき」「新しき」「香よき」と内訳を並べて書いている。
 江戸時代の医学や医療の歴史を振り返った場合、『養生訓』の登場はひとつのエポックだった。それから半世紀以上経過して、新たな波が起こった。徳川吉宗の後押しを得て、蘭学とりわけ蘭方(漢方に対する西洋医学)が普及し、最終的には杉田玄白らによる『解体新書』(安永3年、1774刊)の翻訳事業に結実している。
 本書が刊行されたことによって、大多数の日本人には未知数だった体内の構造に関する情報が徐々に共有されていった。西洋医学に見出された先進性や創造性が、日本語「新」に加味されていく、ひとつの推進力になった。現在、書店に並ぶ「新書」というジャンルの元祖は、この『解体新書』だったともいえる。まだ世間に知られていないことが書かれ、読むとためになる「新書」のブランドイメージは、江戸時代のこの本によって形づくられた。
 杉田玄白が70歳のときに書いた『養生しち』(享和元年、1801ばつ)という冊子タイプの本には、現代語「新鮮」の萌芽が見られる。健康や長寿のための心得を7か条にまとめた著作で、玄白版の『養生訓』でもあった。題名に「七不可」とあるように、日常生活の中で実践してはいけない7つのタブーについて論じている。奥付おくづけはなく、少ない部数でも請け負ってくれる知り合いの版元かどこかで印刷してもらったらしい。
 第4条「正物に非ざればいやしくも食ふべからず」は、風変わりなものを食べないように気を付ける心得になっている。直接的には『論語』(きょうとう編)を下敷きにして書かれ、食事は品数があまり多くない方がよいと玄白はいう。とくに「あい」つまり時間が経過して色褪せた食べ物や、「魚鳥の肉不鮮あたらしくなきの物」は決して食べてはならない。こういった食事を摂ると、病気の原因になると注意をうながしている。魚肉や鶏肉の状態をあらわした「不鮮」の2字に「あたらしくなき」の振り仮名が添えてある。ここでは「鮮」の字と「新しき」ことが、漢字と振り仮名の組み合わせによって重ね合わされている。
 本書の振り仮名は、漢字や漢語の右側につくものと左側と両方ある。両方に書いてあるケースもある。右側は通常の字音や字訓が多く、一般的な振り仮名になっている。左側は訓読、それも言葉の意味を和らげたような読みが与えられている。よって左側に添えてある場合は、もとの漢字表記がいささか専門的すぎるか、あまり一般的でないことを前提にしている。「不鮮」も同様で、振り仮名の「あたらしくなき」は左側に添えてある。当時、ポピュラーな表現ではなかったことがわかる。
 このあと玄白は、推奨する食事について語る。「あたらしくあざらけきにして品数少(な)く食ふをよしとす」とあり、新鮮なものを少ない品数で食べなさいとくり返している。こちらは、漢字の「新鮮」をそれぞれ「あたらしく」「あざらけき」と読ませている。やはり漢字の左側に添えてあり、右側に「しんせん」という振り仮名はついていない。
 おそらく当時は、まだ「新鮮」の組み合わせが一般的でなく、一語にしてシンセンと読ませる日常語の域に達していなかった。だから玄白は字義に相当する訓読みを補って、説明的に表現したのだろう。しかし、つなぎ合わせて一語にしても問題ないくらい、玄白の中で「新」と「鮮」は近い関係にあった。そのことは、「不鮮」を「あたらしくなき」と読ませていた点にもあらわれていた。
 最先端の西洋医学を国内に紹介した玄白でも、日常生活をベースにした予防医学では東洋医学的な対処法が身近で役に立つと考えていた。そこには『解体新書』という「新書」とは別の意味で、江戸時代風に進化した日本語「新」の用法を垣間見ることができる。それはフレッシュさを伝える「鮮」の意味を兼ね備えた、「新」の形成だった。いずれ腐ったり劣化したりする未来の姿を前提にした、今ならではの輝きの話である。
 その結果、日本語「新」には大なり小なり、賞味期限が意識されるようになっている。肉や野菜などの食材に限らず、もろもろの消費材から人材に至るまで、形あるものはいずれ「古」に向かう。さらには形のない情報もまた、最先端の話題であってもいずれ鮮度や注目度が落ちていく。具体的には、後続の「新」に取って代わられる。そうなると「新」なるものは、いずれ時間の経過とともに「古」や「旧」の座に引きずり降ろされるという道筋が思い描かれた。
 その移り変わりとともに、物事の新鮮味を伝えていた伝統的な「鮮らけし」は日常語から外れていった。早くも明治時代の段階で用途が減り、国語辞典にも記載されなくなっている。現代人が古典作品にある「鮮らか」を目にしたら、「鮮やか」の間違いではないかと感じるかもしれない。
 食材などのフレッシュさを伝える「新鮮」は江戸時代のうちに台頭し、そのニュアンスが「新」の字にも付与された。未来の「古」が意識されるようになり、現代語の「新」にかなり近づいている。「新」の評価が高まり、シンと読む同音の漢字とのコラボもようやく現実味を帯びている。

いいなと思ったら応援しよう!