敬語「お」の日本史3-4
おニュー
江戸時代に「新」の価値が高まると、それに連動して丁寧語の「お古」も台頭していった。明治時代になると、猫も杓子もといった調子で「新」が花盛りとなった。「お古」があるなら「お新」があってもよさそうだったが、「お」も「新」も接頭辞的に使われたため、似た物同士は相性が悪かった。「新」の価値自体がそれだけで圧倒的に高く、さらに「お」を添える必要性が感じられていなかったとも考えられる。
そこから時をへて、昭和時代に「おニュー」という言葉が誕生した。現在の国語辞典には、漢字を使った「御ニュー」という表記でも載せられている。今では一般的でない「おフランス」「おクラス」「おピアノ」などのような「お」プラス外来語の形が明治・大正・昭和時代にはあり、その一端が「おニュー」だった。ただし新語の「おニュー」が普及するまでには、いくつかの段階をクリアする必要があった。
第1に、日本語の仮名表記に長音符(音引き。「ー」)が普及していなければならなかった。長音符は、外国語をあらわすのに使われたのが始まりとされている(国語学会編『国語学大辞典』1980年)。日本史上、長音の意味で「ー」を明確に使った最初の人物とされているのが、儒者の新井白石だった。イタリア人宣教師のヨハン・シドッチを取り調べてまとめた『西洋紀聞』(正徳5年、1715頃成立)には、シドッチの名が「シローテ」と書かれ、ローマのことを「ローマン」などと表記している。
白石の著述が刊行されたのは、明治時代だった。彼は7代将軍家継の没後に侍講を辞任してから執筆活動に専念したが、海外の情報やキリスト教の教義などを出版するのは憚られたため、写本で細々と書き写されていた。その間に蘭学者の間で翻訳語に長音符を使用するのが一般化し、そこから世に出た流れが、普及度の面では重要だったとみなされている。
仮名文字の音引きが一般化すると、英単語を仮名書きであらわすのに多用された。明治初期から相次いで刊行された英単語や英会話の本では「new」が「新しい」と訳され、読みは「ニュー」ないし「ニュウ」と表記されている。英語をいっさい載せず、すべて片仮名英語と和訳だけを対訳の形にした本もあらわれた。英会話だけに特化したもので、新年のあいさつの項目であれば「ハツピー ニュー イヤー」などと書かれていて、初心者向けにハードルが低く設定されていた。
これに次ぐ第2段階は、書籍の題名に冠される「ニュー」の登場だった。少なくとも英語に興味のある人にとっては、英語の本と理解できるという出版社の判断が織り込まれている。明治時代における日本語「新」の躍進と並行して、仮名言葉の「ニュー」も同様にポピュラーになりつつあった。
ひとつの画期になったのが、高宮直太挿訳『バアーネス氏 ニューナショナル 第一リードル独案内』(明治18年、1885刊)に始まるシリーズだった。「リードル」とはリーディング(読解)のリードで、「独案内」とは独習本を意味する。これがヒットし、以後3~4年の間は毎年複数冊のシリーズやスピンオフ企画の本が刊行されている。それ以降も明治末年までほぼ毎年、何らかの「ニューナショナル」本が刊行された。
この「ニューナショナル」シリーズで、もっとも特徴的と思われるのは、執筆した訳者ばかりか出版社もバラバラだった点にある。誰でも自由に、「ニューナショナル」を名乗って構わないようだった。そのため会話だけでなく発音や単語、英文の翻訳などにウエートを置いたものなど、個性豊かなシリーズが世に送り出された。純粋な辞書もあり、英語学習者の手引きとなっていた。
ただし『言海』や大正時代に刊行された『大日本国語辞典』にも、「ニュー」は採録されていない。やはり外来語で、国内で使われるようになってからまだ日が浅いと判断されていたのだろう。それでも明治時代のうちには、かなり広く知られた外来語になっていた。
そして昭和初期までには、文学作品にも「おニュー」が登場している。「ユ」は旧かな遣いの表記で、大きく書かれている。たとえば菊池寛の小説『新道』(『菊池寛全集』第12巻、昭和12年、1937刊、所収)には「そんなおニユーの服をよごしちやたいへんだわ」などと出ている。
戦後になると、「おニュー」の需要は一段と増している。少女雑誌『少女世界』(1951年6月号所収、北村一夫「美邪子の悲しみ」)には、主人公の美邪子のウキウキした心について「今日はじめて着たおニューのワンピースのせいもあったかもしれない」と書かれている。
児童書にも見られるようになり、児童文学者協会編『童話の国 学年別 5年生』(昭和29年、1954刊)に収録されている一編『あしたの風』にも一例がある。小学生の夏子の家は父親が戦死し、母親が毛糸の編み物の仕事で生計を立てていた。小さくなった長靴を5年生のときに弟に譲ってから、夏子は自分の長靴を持っていなかった。1度だけ母親にねだったことがあり、しばらくするとサプライズで渡された。「おニューのながぐつ」と題する一節があり、母親は昨日思い切って上等の長靴を買ったことを夏子に伝えると、「おニュー!」と口にしながら娘の背中をポンと叩いている。
この新語は構造上、「お古」や「お下がり」の対義語になっている。どうしても「お新」の形では日本語に馴染まず、外来語とのコラボという一種の奇策によって「御」と「新」が一体化している。その「おニュー」が伝えるニュアンスは、どことなくお高く留まった印象がある。それを承知の上で得意げに語ったり、あるいは小説の中で得意満面の様子で語られたりしている。高級な舶来品などを意味する外来語に「お」がつくと、そういったニュアンスになりやすい。たとえば「おフランス」「おクラス」「おピアノ」などと似た部分が、「おニュー」にも漂っている。
誰の創案なのか明らかでないが、生み出されてからすでに1世紀近く経過しようとしている。十分長く使用され、すでに死語と化していても不思議ではないのに、現在でもSNSなどで普通に使われている。おそらくは類語による言い換えがむずかしいから、持ちこたえているのだろう。
接頭辞同士の「お」と「新」を組み合わせるにあたり、「新」を「ニュー」に置き換えたのは大きな発明だった。苦肉の策で生み出された新語の「おニュー」は、じつによくできている。この言葉が通用している今日の現状を見れば、「新」の価値は当面は安泰なのだろう。このように「お」のつく言葉を集めてみると、私たちが何を大事にしてきたのか、今何を重んじているのか、ある程度見当がつくように思われる。(了)