ジェンダー理論の歴史
そもそも「ジェンダー」って何?
現在、LGBT理解増進法で話題のLGBT。
LGBTとはゲイ、レズビアン、バイセクシャル、トランスジェンダーの頭文字で、性的少数者を指す言葉。
その中でも特に話題になるのがトランスジェンダーのことだ。
トランスジェンダーとは肉体の性別と、性自認(ジェンダー)が一致していない人のこと。一般的には「体の性別と心の性別が違っている人」のように説明される事もある。
海外では本人のジェンダーに従って性別変更が可能な国もたくさんあり、本人が自身のジェンダーを申告して手続きする事で法的に性別を変える事ができる。日本の性同一性障害のように性別の変更に医師の診断書や性転換手術は不要だ。これをジェンダー・セルフID制度という。
デンマーク、ポルトガル、カナダの一部、アメリカの一部、アルゼンチン、ブラジルなど20ヵ国以上がこの制度を導入している。
またそれ以外の国でも、性別の変更のために性転換手術を必要としない所も多い。
これほどまでに重要視される「ジェンダー」とはいったい何なのだろうか?
そもそも誰が言い出した概念なのだろうか?
その疑問を解消するために、「ジェンダー」の歴史について見ていきたいと思う。
1998年にお茶の水女子大学ジェンダー研究センター教授が書いた論文を参照しながら、どのように「ジェンダー」という概念が生まれ、そして発展してきたのか、適宜Wikipediaなどの資料を参考にしながら見ていく。
【主に参考にした論文】
舘 かおる, ジェンダー概念の検討, ジェンダー研究 第1号 1998, pp 81-95.
http://www.igs.ocha.ac.jp/igs/IGS_publication/journal/01/01_07.pdf
1.「性自認形成要因」を示すジェンダーの系譜
始まりは1950年代のアメリカ。
性科学者ジョン・マネーや精神分析学者ロバート・ストラーが、ジェンダーという言葉を「社会的文化的性別」と再定義して使い始めたのが最初だった。
※ジェンダーという言葉は元々、ドイツ語やフランス語など名詞に女性名詞、男性名詞などの性別がある言語における「単語の性別」という意味だった。
(1)ジョン・マネー(John Money:アメリカの性科学者 1921-2006)
半陰陽や、事故で生殖器を失った患者の治療と研究を通じて、彼は患者の中に、身体的特徴で割り当てられた性別とは異なる振る舞い(女性に割り当てたのに男性的な者、男性に割り当てたのに女の装いを好む者、同性を好きになる者など)をする人達がいることに気づいた。そこで彼は肉体の特徴以外にも、性別を規定する要素があるのではないかと考えた。
彼は「生殖器官による性(sex)」を示す用語ではなく、「性愛から社会的役割などを包括的に扱える性」を表す用語を求め、文法上の用語であるジェンダーを用いることを思いついた。
そして、患者の治療と研究を通じて、マネーは、ジェンダーにあわせてセックスを変えたと報告している。つまり男性性器を持ちながら女性と性自認している場合、男性性器を削除して女性の身体になる手術を行った方が良い結果をうむ事例が多かったと主張したのである。
彼の主張では、人間は生まれてから18ヶ月まではジェンダーが中性であり、その時点では男にも女にもなれるということだった。
(2)ロバート・ストラー(Robert Stoller: アメリカの精神分析学者 1924-1991)
sex(肉体の性)に対応する性別語彙はmale/female(オス・男、メス・女)であり、genderに対応するものは、masculine/feminine(男らしさ、女らしさ)であるとして、性同一性障害gender identity disorder とよばれる患者の研究によって、male/femaleとmasculine/feminineは必ずしも一致するものではないことを明らかにした。
そして「(人間の性自認は)身体的規定力以上に社会的規定力が強い」ことを確認した。
ということで、スタートは医学の分野から。
ちなみに一番最初にジェンダーの概念を言い出したジョン・マネーだが、彼は上記の通り、18ヶ月までなら環境によって男にも女にもなれると考えていた。
彼の患者の一人にユダヤ系カナダ人の男児で、乳児の時に割礼に失敗して男性器を損傷してしまった8ヶ月の少年がいたのだが、マネーはその子に性転換手術(陰茎と陰嚢の外科的切除)を行い、女児として育てさせた。たまたま一卵性双生児で双子の兄弟がいたため、彼の理論を証明する症例としてたびたび学会でも発表されていたらしい。しかし最終的に患者本人は男に戻ることを選択。自分のような悲劇が繰り返されない事を望んで、自分の経験を公表し、そのインタビューを元に『As Nature Made Him』という本も出版された。日本でも『ブレンダと呼ばれた少年』という邦題で出版されている。この兄弟は共に重度のうつ病を発症し、弟は36歳で薬物の過量摂取で死亡、本人は38歳で拳銃自殺してしまった。
詳細は以下の記事を参照のこと。
英文記事の方には更に詳細に、ジョン・マネーによる性虐待的ともとれる『実験』内容が記載されている。
2.「性別の権力関係を分析する」ジェンダーの系譜
(3)アン・オークレー(Ann Oakley: イギリスの社会学者、フェミニスト、作家 1944-)
ジェンダーを性役割概念として提起し、ジェンダー概念の理解に多大な影響を与えた。オークレーは、性役割は、生物学的に決定されていて「自然に」具現化するものではなく、社会が意図的に「男と女を非対称に」形成した結果生じるものであることを、詳細に検証することを課題とした。それ故一時期、性役割研究は、ジェンダー研究と同義となった程である。
(4)ハイジ・ハートマン(Heidi Hartmann: アメリカのフェミニスト、経済学者 1945-)
「セックスが ジェンダーに転化する」メカニズムを経済的基盤との関連を中心に解明することを試みた。
(5)マリリン・ストラーザーン(Dame Ann Marilyn Strathern: イギリスの哲学者・人類学者 1941-)
「文化」の観念が構築される際に、ジェンダーは非対称で位階性を持つ象徴的な操作子として作用することを、フィールドワークの分析から提起した。
(6) クリスティーヌ・デルフィー(Christine Delphy: フランスのフェミニスト社会学者 1941-)
性別を分割してつくった性別集団間の関係性は「階級性」があり「序列化」されていることを重視した。性役割分業の固定化、公私領域の区分化、家事・ 育児等の再生産労働の無償性、男性優位の表象等の知見は、性別間の関係性のバイアスを具体的に示すものとして確認されたのである。さらには、異性愛を正常とする性的指向の正常認定により婚姻制度が維持され、性支配システムに内在するものとして強制的な異性愛主義があることも指摘された。
(7)ゲイル・ルービン(Gayle S. Rubin:アメリカの文化人類学者 1949-)
セクシュアリティをこのように方向づけ、セックスとジェンダーを同一視させている性支配システムを、セックス/ジェンダーシステムと名付けた。
(8)ジャネット・ジール(Janet Z. Giele: アメリカの社会学者 1934-)
フェミニズムが提起した両性間の平等に関わる構造的障害の問題は、ジェンダーの社会学においては「ジェンダー関係の構造と両性間の平等度」をつなげる「ジェンダー階層理論」となったと位置づけた。
(9)ジョーン・スコット(Joan Wallach Scott: アメリカの歴史学者 1941-)
ジェンダー概念は、「両性関係の社会的構造」を表現するために導入されたと述べ、またジェンダーは「権力関係を表す第一義的な方法」であるとしている。
3.ジェンダー概念の社会構築性の検討
(10)モイラ・ガーテンズ(Moira Gatens: オーストラリアのフェミニスト哲学者 1954-)
1985年というかなり早い時期に、セックスとジェンダーを区別することは、「身体はジェンダーと違って自律的で、かつ無色透明の決定性をもつと認めることであり、私たちが身体について知っていることもまた文化的に産みだされた知であるという事実を無視することだ」と指摘した。
(11)ジョーン・スコット(Joan Wallach Scott: アメリカの歴史学者 1941-)
ガーテンズの議論に賛意を示し、自らも「ジェンダーは、肉体的差異に意味を付与する知」なのだと述べている。
(12)マリア・ミース(Maria Mies: ドイツの社会学者 1931-2023)
女性抑圧の原理が生物学的特性に還元される状況では、こうした区分は有効であると認めつつも、人間の身体は、他の人間や外的環境との相互作用によって影響をうけながら形成されるのであり、セックスが「自然」で、ジェンダーが「文化」であるかのような把握は適切ではなく、セックスも社会的、文化的、歴史的なものであると主張した。
(13)クリスティーヌ・デルフィー(Christine Delphy: フランスのフェミニスト社会学者 1941-)
性支配解明の思考の過程から、実にラディカルにジェンダー概念の転換を求めた。デルフィーは、「ジェンダーがセックスをつくった」と1984年の段階から主張している。それによれば、「現在、ジェンダーは、それぞれの社会によって変わるかもしれないが、基盤(性的分割)そのものは変わらない」という「最低限の理解」しかなされていないと言う。デルフィーの定義するジェンダーは、そのようなものではなく、「ジェンダー一女性と男性という各自の社会的位置一一は、セックス(雄と雌)という自然なカテゴリーに基づいて構築されているのではなく、むしろ、ジェンダーが存在するがために、セックスがそれに適合した事実となり、かつ認知されたカテゴリーになった」のであるという見解を述べる。1992年の論考では、セックスは「容器」であり、ジェンダーは「内容」と理解するようなジェンダー概念の浸透を嘆き、「性別の序列化が解剖学的差異を二つに分割した」 のであり、ジェンダーは「序列化」から生じる「分割」(カテゴリー化)の問題として考えるべきであることを 強く主張している。
(14) リンダ・ニコルソン(Linda Nicholson: アメリカのジェンダー学・歴史学者)
1994年に、セックスを与えられた本体とし、セックスに付け加えられてジェンダーがあるという理解の仕方を、「コートラック」の比喩として示し批判した。セックスを「ラック」のような本体と考え、ジェンダーを「コート」のように様々に付け加えられるものと捉えることは、あくまでもセックスを基盤として位置づけることになる。これでは、「生物学的決定論」を打破するものとして成立したジェンダー概念が、「生物学的基盤論」を提示する概念に移行したにすぎないと批判したのである。
https://faculty.uml.edu//kluis/59.240/Nicholson_InterpretingGender.pdf
(15)ミシェル・フーコー(Michel Foucault: フランスの哲学者 1926-1984)
「セクシュアリティの配備が、セックスという概念を確立した」と述べた。
(16)モニカ・ウィティング(Monique Witting: フランスの作家、哲学者 1935-2003)
「セックスカテゴリーとは、社会を異性愛的なものとみなす政治上のカテゴリーである」と主張。
(17)ジュディス・バトラー(Judith Butler: アメリカの哲学者 1956-)
「性器の特権化によるセックスという名のジェンダー」と言い切った。
これは、「セックスというカテゴリー」が構築されたものであるということである。また異性愛システムというセクシュアリティの有り様が、性別を判定する際の特権的位置に性器を据え、絶対的規定性をもつセックスというカテゴリーを構築したということである。なかでもJ・バトラーは、こうしたセックスの構築性について最も果敢に取り組み、Gender Trouble等の著作において、ジェンダーがセックス及びセクシュアリティを生み出した、という従来の因果関係を逆転する主張を行っている。そして、Bodies That Mαtterにおいて、さらに身体性の構築を考察している。
バトラーは、「言説に先住するものとしてのセックスの産出は、ジェンダーと呼ばれる文化的構築装置の作用として理解されるべきなのである。」と言う。そして「この『セックス』と呼ばれる構築物も、ジェンダーと同じように文化的に構築されていることになる。実際のところ、おそらくそれ〔セックス〕は、これまでも常にジェンダーであったのであり、したがってセックスとジェンダーの区別は結局なんら区別ではないことになる」というジェンダーの把握に辿り着く。
(18) トーマス・ウォルター・ラカー(Thomas W. Laqueur: アメリカの歴史学者 1945-)
身体認識の変化を歴史的に追い、セックスの構築を鮮やかに描きだした。ラカーに拠れば、18世紀頃のヨーロッパにおいては、女の身体は男の身体の不完全なヴァージョンと認識されていたが、性器は同一のものであり、外に出たものがペニスであり、内にあるものがヴァギナであるという違いにしかすぎず、何かの拍子にヴァギナが外に出て、女が男になることもあるという認識を多くの人々が持っていたと言う。だが、18世紀以降になると、 ペニスとヴァギナは違うものであり、従って男と女は全く異なるものであるという認識が生まれ、また性別が変わることなどはあり得ないという考えが広まっていったと言う。ラカーはこれを「ワンセックスモデルからツーセックスモデル」への転換と分析し、解剖学的性器の認識の変化と性的差異の絶対化との結びつきを示した。
(19) シンシア・イーグル・ラセット(Cynthia Eagle Russett: アメリカの歴史学者 1937-2013)
イギリスのヴィクトリア朝期の性差の科学が、「女は脳が小さい分だけ男より知性が劣る」「女は生理があるので慢性的病人である」「女は進化論的には未発達の男性」等々、男女の優劣と生体的特徴とを結び付け、女性の劣性を科学的事実としたことを分析した。
(20)ロンダ・シービンガー(Londa Schiebinger: アメリカの歴史学者 1952-)
リンネに代表される博物学における「分類」という発想、解剖学による人種と性差の複合的な序列化などをスリリングに分析し、啓蒙の世紀の「身体の政治学」を明らかにした。
(21)加藤秀一(日本の社会学者 1963-)
「『性別』は、セックスとジェンダーとからなるに先だって、つねに先ず 〈ジェンダー〉と書かれねばならないことになるであろう」と記している。
(22)荻野美穂(日本の歴史学者 1945-)
バトラーの言う 「性器の特権化によるセックスという名のジェンダー」を、身体史の視座から究明する提起を行っている。
(23) 竹村和子(日本の英文学者 1954-2011)
セクシュアリティとの関連で、「〔ヘテロ〕セクシズムと資本主義」の視座から、希有な論考を展開。
ここまでが、1998年までの、そして現在まで続くジェンダー論の流れである。
やはり最も大きな影響を与えたのは1990年に『Gender Trouble』を発表し、「セックス(肉体の性)もまたジェンダーと同じく社会的に構築されたものである」と主張してそれを論壇に浸透させたジュディス・バトラーの存在だろう。
恐らく、この記事を読んでいる人のほとんどは彼女の言説を理解できないと思われる。理解を深めたい方は次の記事を参照してほしい。個人的には世界一わかりやすいバトラーの解説だと思う。バトラーの理論を理解するために必要な数百年分の哲学的教養も身につけられてお得な記事。
テレサ・デ・ラウレティスというアメリカのジェンダー学研究者が、当時バラバラになりかけていた性的少数者を団結させる目的で「クィア理論」を提唱した。
それに対し、哲学者ジュディス・バトラーが『Gender Trouble』を書いて、クィア理論に現代哲学的肉付けを行い、性別二元論を否定した。
この理論はLGBT活動家やフェミニスト、学術関係者らに広く受け入れられ、世界中に今日まで続く大きなムーブメントを起こし、各国にジェンダー・セルフID制度(医師の診断書や性別適合手術無しで、本人の自己申告のみで法的な性別変更を可能にする制度)を認めさせるなど、社会制度を変革させるほどの影響力を持っている。
以上、1950年代から1998年までのジェンダー論の歴史についてまとめた。
以上についてもし事実誤認や間違いがあればぜひ教えてください。
また、1998年以降のジェンダー論の流れについてご存知の方は是非教えてください。
適宜、修正・追加していきたいと思います。