『おいしいおかゆ』
今からちょっとまえのはなし。
僕以外の家族みんなが、流行り病にかかった。
いまとなってはそんなに流行ってるっていう印象がうすれてきた病気(ウイルス?)だけど、ピークを過ぎた今頃にようやく、おうちにやってきた。
一応、僕の家でははじめてのおむかえ。
僕以外はみんなダウンしちゃって、おんなじ家のなかでも隔離生活。
できるだけ生活する環境を分けて、僕はかからないように気をつけて家で過ごした。
そのとき、親が毎日やってくれていた家のあれこれをやることになった(やれるのは僕しかいない)。
洗濯機を高校3年生になってはじめて自分で回して、感染に気をつけながら家族の使った食器を片付けて(食洗機をひさしぶりに自分でかけた)、服もたたんで、ごはんも自分で用意した。
わからないことだらけだったけど、将来のことを考えたときに、今のうちにいろいろやっておくのはいいことかな、って思った。
そして家事を親がやってくれていたありがたみが、よーくわかった。
僕は同時に家族のごはんもつくっていた。
早く治るようにネギいっぱいのうどんをつくったり、たまごの雑炊をつくったりしていた。
あるとき母さんが「おかゆを食べたい」とオーダーしてくれたので、1からおかゆをつくることにした(おかゆをつくるのは人生初)。
(↑これを参考につくった)
僕がつくることにしたのは、たまごおかゆ。
たまごおかゆには思い入れがあって、よく僕が熱を出したときに母さんがつくってくれた。
いいかんじの塩加減で、やさしいあったかさとおいしさが大好きだった。
(あと「たまごおかゆ」っていう字もやさしくて好きだった。)
だから、こんなときだからこそ、僕がたまごおかゆをつくっていろんな意味でお返ししようと思った。
お米を精米して、グツグツあたためて、たまごを入れて塩とかを入れる。
やることはシンプルだけど、はじめてだったから
時間もかかったし火加減もわからないことばっか。
ときどき水を足して、わからないながらでもなんとなく勘に頼って、英語の勉強をしながらゆっくりと時間をかけてつくった。
そして、できた。
母さんがいうには、おいしかったみたい。
すっごいうれしかった。
たまごおかゆをつくってたとき、お米があんまりにもお水を吸ったのか、鍋からあふれそうになるぐらいいっぱいになってきたおかゆを見た。
その瞬間、僕が小さいときに読んだことのある
『おいしいおかゆ』という物語を思い出した。
貧しいけれど心のやさしい女の子が、森で出会った
おばあさんからもらった壺で、お母さんのためにおかゆをつくる。
その壺は、「煮て、壺よ、煮て」と言えば、おいしいおかゆを作り、「止まって、壺よ、止まって」と言えば作るのをやめる不思議な壺。
お母さんは女の子がいないときに壺でおかゆをつくろうとするが、壺の使い方が分からなかったから、
女の子の見よう見まねで一度使い始めるとおかゆがとまらなくなってしまい、家どころか街がおかゆだらけになってしまう。
女の子が「止まって、壺よ、止まって」と言うと
壺はおかゆをつくるのを止め、街の人たちはおかゆを食べて自分の家に帰ったという、人のものを勝手に使うととんでもないことになるというお話。
現実には鍋からいっぱいいっぱいのおかゆがずっとあふれ続けることはないんだろうけど、なんか不安になったから「止まれ!」って言ってみた。
特になんにも起きなかった。
普通に火を止めたら落ち着いた。
はじめてつくったおかゆだったけど、
『おいしいおかゆ』になってよかったな、と思う。
次つくるときは、お水の量を調節してもっと食べやすいおかゆをつくりたいな。
あとシンプルなお塩のおかゆもつくりたい。
もっと、『おいしいおかゆ』にしたいな。