自己啓発なら山倉

ついたあだ名は「意外性の男」。かつてそう異名をとったプロ野球選手がいた。
巨人の元捕手で山倉和博。江川卓、西本聖らの投手陣の女房役として活躍した。ただ打撃は非力だった。1978年から年のシーズンのプロ生活で生涯打率2割3分。1割台のシーズンも送ったことがある。めったに打たない。主に8番打者に座る彼に打席が回るとファンも承知だ。結果を望んでいない。諦めている。1アウトを自動的に献上だ。が、その山倉がたまに大きな働きをする。そう、意外な場面で打つのだ。タイムリーヒットを放ち塁上に立つ背番号は、いまはなき後楽園球場のカクテル光線を浴びた。敵は歯ぎしりし、味方は、ファンは、望外なプレゼントとなった。当時巨人ファンだった私も。その存在は、これまた、たまに大きな当たりを打ったミスター長嶋のご子息、長嶋一茂にも重なる。
「絶対悲観主義」(講談社+α新書)。この本を手にすると、その山倉を思い出すのだ。筆者は楠木建さん。書店に寄ると自己啓発系の本がずらりと並ぶ。「いいイメージを抱けば、夢をきっと実現する」「諦めなければ、夢はつかめる」あるいは「願えば宇宙の力で引き寄せが発動し、幸せが訪れる」とか、なんだかスピリチュアルものまで話が吹っ飛ぶ。甘いささやき。「ハーメルンの笛吹き男」のようにそんなコピーにふらふらとついていき、きっと実現するのではないかと、期待してしまう。私ならついていく。
しかし、だ。そんな中で「絶対悲観主義」は、対極の位置に立つ。冷徹に真実を突きつける。まずは、人生なんてほとんど思い通りにいかない―。ド直球が気持ちいい。楠木さんは一橋大特任教授。競争戦略を専攻し、企業が持続的な競争優位を構築する論について研究している。経済に関する本を多数出している楠木さんは、実用的な仕事哲学はないものかと、自身が追及するうちにたどり着いたのが「絶対悲観主義」だった。
楠木さんによれば、この〝主義〟にもっていくのは簡単だという。事前の期待のツマミを思い切り悲観方向に回しておくだけ。マイナスから始まれば、ちょっとでもプラスになると心地いい。逆に成功するのが当たり前の心構えでいけば、一つ躓いたらショックは大きく立てなくなりそう。思い通りにいくことなんてこの世の中にひとつもないと思えば楽だ。
また野球の例えになるが、イチローや大谷翔平を打席に送れば期待してしまう。「ヒットを打って、ホームランを放ってくれ。彼らならやる」。それは昨今の自己啓発本の願いがかなう確率と似ているよう。しかし、それがあいかなわなわず凡打だったら、ショックは大きすぎだ。「あの安打製造機が、あの二刀流が…」。振り切った期待の針はマイナスに。
ところが、「絶対悲観主義」ならできなくてあたりまえだから楽ちん。しかも取り組み姿勢が簡単。失敗しても動揺は少ない。そうなのだ。イチローじゃない、大谷じゃない。山倉を打席に送るつもりの姿勢でいいのだ。だって山倉だもん。失敗して当たり前。まず打てない。うまくいけば、その喜びは倍増。おっ、珍しく山倉打ったぜ。へたな楽観主義よりも幸福度は上がる。挫折もない。副作用もない。これほどいい心構えはないと思っている。山倉のところは一茂と置き換えても、良し。

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