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一人歩き

 京都へ旅行するのが好きだ。日本史が好きな人間ならば、京都という土地には何かしら興味が湧いてくるのではないだろうか。長い間朝廷が置かれていた京都には数多くの重要な史跡が存在している。関東で生まれ育った私にとって、京都は古くからの歴史が息づいている憧れの土地であった。(もちろん関東地方にだって歴史はあるのだが)

 初めて京都へ訪れたのは中学時代の修学旅行だった。クラスメイトは寺社仏閣を巡る旅程にあまりモチベーションが上がらないようだったが、昔から日本史が好きだった私は当日が楽しみで仕方がなかった。実行委員に入り、旅行のしおりを編集し、表紙のイラストまで描いた積極性を見せたのは、後にも先にもこれだけだ。
 東京から京都へ行く主な手段としては新幹線が挙げられる。修学旅行でもやはり新幹線を利用した。その時に初めて新幹線に乗ったのだが、車内へ乗り込む時の、あの心が弾む気持ちは今でも変わらない。
 東海道新幹線のホームに掲げられている駅名標の丸みを帯びたフォントを見るだけで、非日常に入ったことを実感する。これから実生活とはかけ離れた場所へ行くのだと晴れやかな気持ちで座席に座る。いつもの電車とは異なる小ぶりの窓から見える景色に、どこか郷愁を感じる。
 東京ー京都間の景色を眺めるのは楽しい。ビルの多い東京、新横浜を過ぎると徐々に建物が低くなっていき、山が見え始め、河川を渡る。天気がいいと美しい富士山を見ることが出来る。熱海や浜松辺りでは海も見える。東京では見ることの出来ない景色をぼんやり見つめていると、次第に心がほぐされていく。
 再びビルや工場が増えた辺りで名古屋に到着する。工場の上部に設置されているメーカーの看板を見るのも何故か楽しい。関ケ原、米原を過ぎた辺りで遠くの方へ目を凝らせば彦根城が見える。そのまま視線を張り付かせていれば、安土城跡も見ることが出来る。ここまで来たら後はもう京都駅のホームへ降りるだけだ。
 そうしてやってきた初めての京都はまさに「聖地巡り」だった。これがあの教科書や資料集で見たお寺や仏像、古典文学で書かれている土地なのか――。大半のクラスメイトが退屈そうに見学をしている中、一人しみじみと感動し、またいつか絶対に訪れてやるぞ、と決心した。そしてその決意通り、現在でも定期的に京都へと旅行をしている。

 自分の好きな土地を気の向くままに散策する、というのが目的であるので、一人で京都へ遊びに行くことが多い。友人ととりとめのないお喋りをしながら話題のスイーツを食べたり、ショッピングをしたりという楽しみは味わえないが、ゆったりとマイペースに京都の風景を楽しむことが出来る。
 関東平野には山がない。晴れている日に高層ビルの上階から外を見れば山を確認することは出来るが、しかしその姿は小さく、うっすらと靄がかって見える。しかし京都では視線を少し上げればすぐに山が目に入り、そこに生えている木々の色づきさえも知ることが出来る。京都に住んでいた、あるいは訪れた偉人たちもこの景色を眺めていたのかと思うと感慨深い。

 5年ほど前に貴船神社へ行ったことがある。前日は宇治方面へ行ったので、それならば次は鞍馬山方面へ行ってみようとその日になって決めたのだった。ホテルを出て、まず出町柳へと向かう。叡山電鉄の出町柳駅から鞍馬線に乗り、貴船口を目指した。6月ということもあり、前日は雨が降っていて散策には向いていない天候だったが、その日は打って変わって晴天だった。電車の先頭から見える景色は、まるでアニメのワンシーンのようだった。

ジブリ映画のワンシーンみたいな写真

 貴船口で降りると、次は京都バスに乗って更に山の中へと進んで行く。山に慣れていない私は、ビルも見えず都会の喧騒も聞こえないこの場所から、果たして元の世界にちゃんと戻れるのだろうかと少し不安になる。周囲の観光客や電信柱を見回して、ここも何てことはない観光地の一つなのだと自分に言い聞かせた。貴船川に沿うようにして、バスは山を登っていく。
 貴船でバスを降りて坂道を登れば、神社の近くに建てられた茶屋や料亭が見え始め、想像していたよりも多くの観光客で賑わっていた。料亭では川床も設置されており、お客さんたちは貴船川からもたらされる涼しさと上から降り注ぐ木々の濃い緑を楽しんでいるようだった。

貴船川

 貴船神社は水と木々の気配に満ちたとても清らかな神社だった。御祭神が水の供給を司る高龗神であると知り、それはそうだろうと至極納得がいく。
 より一層自然の気配に満ちていたのは奥宮だった。奥宮まで進んで行くと人影が減り、静寂が訪れた。心なしか気温も少し下がり、より涼やかな風が身体を撫でる。澄んだ水が流れている音が聞こえ、大木がこちらを見下ろしていた。「神聖」というのはこういうことなのだろうと全身で感じ取ることが出来る、とても厳かな空間だった。美しい光景を見せていただきありがとうございますと神様にお礼をして、ゆっくりと来た道を戻る。出来ればずっとこの場所にいたかったが、そうすると人の世界に戻れなくなるような気がしたので、惜しみながら奥宮から離れたのだった。
 梅雨の晴れ間に訪れた貴船神社は、忘れがたい思い出となって、これからもずっと胸の中にあり続けるだろう。

奥宮から見上げた景色

 京都へ何度も足を運ぶのは、美しくもあり、少しだけ怖さが見え隠れもする「京都の自然」が好きなのかもしれない。

 当たり前ではあるが、旅行をしたのならば最終日には自宅へと帰らなければならない。現実へ戻ってしまう寂しさと、いつもの日常へ戻るという安堵感を抱えて新幹線へと乗り込む。
 夕方の時間帯であれば、夕暮れの景色を窓から見ることが出来るが、これが更に淋しさを助長させる。山と夕陽という組み合わせは、どうしてこうも懐かしくどこか悲しい気持ちにさせるのか。物言わぬ自然と、一日の終わりを告げる橙色のタッグが思わぬ相乗効果を生み出しているのかもしれない。もしくは元々原風景として日本人の心にインプットされているのかもしれない。そんなことをぼんやりと考えながら山へ沈む夕陽を眺めていれば、次第に空は紺色に覆われていく。
 京都駅で買った駅弁を食べている間に、外はもう外灯と看板のネオンしか見えなくなる。旅先で歩き回ったせいで足はクタクタになっていた。数日間は筋肉痛に悩まされるだろう。足を軽く揉んだり、スマートフォンをいじったりしている内に「次は新横浜」というアナウンスが聞こえ、もうすぐで東京に戻ることを知らされる。
 新横浜、品川を過ぎると、残った乗客は徐に身支度を始める。ミニテーブルをしまい、上着を羽織り、荷物棚からキャリーケースとお土産を取り出し、いつでも席から立てるようにする。東京駅への到着を表すメロディと「今日も、東海道新幹線をご利用いただきありがとうございました」というアナウンスが車内に流れる。
 新幹線が停車し出入口が開けば、いよいよ旅行の終わりだ。満足感と淋しさを背負った人たちの背中を見つめながら、私も東京駅のホームへと足を下ろす。そして自宅へ帰るためにいつもの電車へと乗り換える。
 

 

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