![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/92604641/rectangle_large_type_2_4c1f1de6d3bc03d31a7ddd8e9d2843c4.jpeg?width=1200)
「丁寧さがもっと欲しい」ドキドキ!プリキュアレビュー
(画像は東映アニメーション、『ドキドキ!プリキュア』から引用しました。)
こんにちは。
今回はドキドキプリキュアについてレビューします。
本作は世間的には高評価のプリキュアです。それだけに結構期待してみたのですが……合わないところが多すぎました。
以下、酷評をしている部分が多いので好きな方はご注意ください。
論点
キャラ描写の完成度の議論
レジーナさんの改心は一番やってはいけないパターン
そもそも「自己中」と「愛」のテーマについて
キャラ描写
12/30
盛大なガバが存在します。この時代のプリキュアの中では最低レベルかもしれません。
演出
10/20
良くも悪くも普通。ただ戦闘演出でいちいち技のモーションをするのは鬱陶しく感じます。
話の構成
18/30
キャラ描写がおかしかったので、必然とダメな感じに。ただ、部分部分で面白いエピソードはありました。また、面白いものにしようという努力はあります。
個人的評価点
10/20
テーマがおかしいと思うので……ただ、六花さんはとても良かったためこの点数。
総合得点
50/100 凡作
論点について
キャラ描写の良かった点
最初に褒めるところから始めましょう。
マナさん、真琴さん、レジーナさん以外のキャラは比較的良いとは思います。
若干気になる点はあるものの、ありすさんは友達に対して大事に思う理由は描かれていますし、亜久里さんも小学生ながら責任感の強さと年頃の女の子というギャップは良かったかと。
特に立花さんについては、非常に完成度が高いと言えるでしょう。最初は誰かに影響されるケースが多かった彼女ですが、20何話で大きく心情を左右する現象がありました。
今まで敵対していたキャラがボロボロで気絶している時、彼女は見過ごせないと考え治療を施します。
その後記憶喪失となり、戦闘能力が無いことを知った彼女。仲間からは今のうちに倒した方が良いといわれ、武器を向けられますがそれを庇います。
この行動、心情は誰からの影響も受けておらず、六花がプリキュア活動をする中で培った価値観です。この点については非常に感動しました。
キャラ描写:真琴さん編
では悪いところについて議論します。説明の都合上真琴さんから指摘しますが、問題を箇条書きすると
・真琴の存在がマナのキャラ描写をおかしくしている
・人気アイドルにも拘らず、かなりの頻度でマナたちと一緒にいる
・トランプ王国のプリキュアという設定が活かされてない
などなどあります。とりわけ一つ目がかなりデカく、13話ぐらいの女王様探しで大きな矛盾が生じています。
彼女のそもそもの目的は王女様を探すことですが、それをマナたちが手伝ってなかったことが判明します。
友達が困っている時は力になりたいと言いながらも、マナさんが手伝ってないことに強烈な違和感が生じました。元々真琴さんの目的を知っていたにも関わらず、その手伝いをしないと言うのはあまりにおかしいです。
それを合理的に解釈するなら、マナさんは自分の身近な人が想像の及ぶ範囲で困っているなら助けたいと思うというものになります。かなり人物像にリアリティが増す解釈だと思いましたが、他プリキュアのマナさんへの評価がおかしくなるのですよね。
他にもこの話は、真琴さんが芸能活動をストイックに行っているという部分に矛盾が生じています。正直、この話だけでドキプリの印象が180°変わったといっても過言ではありません。
一応、ドキプリのキャラ描写のおかしさはこの前の会にもありました。4話のラケルの言動や、11話の助っ人よりアイちゃんを優先した回など、挙げると割と多いのですが、この13話が決定的です。
後は、キュアソードとしての設定がいまいち活かされていないと感じました。多分元々は追加戦士枠だったと思うのですが、それを6話ぐらいに加入させてしまった弊害が否めません。
考え方によっては、傷ついた真琴さんをマナさんたちが癒していったとも言えますが、全体的にあまり意図が見えない加入と感じます。
誤解のないように記載しますが、私自身キュアソード、および剣崎真琴さんというキャラが嫌いなわけではありません。重いドラマを持ちながら敵キャラと戦うという、むしろ好きなキャラです。
ですが、その好きなキャラが上手く活かされておらず、むしろ他の矛盾を生み出すような話が多いからこそ、指摘しています。
キャラ描写:レジーナさん編
次にレジーナさんについて言及します。これは私の知る限り、一番悪いパターンの改心だと考えています(デパプリは例外)。
なぜかというと、レジーナさんがマナさんのことが好きだからという理由で改心したから。確かに、レジーナさんがマナさんを好きになるエピソードは丁寧に描かれていますが、その理由だと依存先を増やしただけにしか見えません。
極端な例を挙げると、マナさんが世界に仇成す行為を行った際、レジーナさんが追随してしまう可能性が挙げられます。それじゃあ、改心した意味がありません。
じゃあどのように改心した方が良かったかというと、レジーナさん自身が「正しいと思うことは何か」を決めることです。
例えば、父が侵略を始めたがこのまま侵略を始めてしまうと自分の大好きなマナさんやその家族も害が及んでしまう……でも、力が足りないし、お父さんに逆らえない、どうしよう!
という状況の中で、マナさんと協力する、という改心でしたら文句どころかかなり評価を高めにしてました。
ですが、本編の改心理由は、『マナさんも好き、お父さんも好き。だから決められない!』というものです。歴代を見ても、人に依存した改心というのはなかっただけでかなり残念です。
(例として、フレプリのせつなさんとスイプリのエレナさんについて挙げます。前者はラブさんの家族との交流の中で、本当の幸せについて気づいたからこそ守りたいと思っています。ゆえに人間依存ではありません。
後者は、ハミィさんが「このままセイレーンが不幸のメロディを歌ったら、セイレーン自身も悲しむ」という言葉をきっかけに改心します。一見ハミィ依存の改心ですし、プリキュアになった直後はそうでした。
しかし実際はエレンさんが最初から持っていた「人を信じる心」こそが洗脳解除の大きな理由です。そこから、もっと多くの人の心のつながりを大事にしたいし、守りたいという理由からプリキュアに加わります。
両者とも友達という関係もありますが、自身の目的をかなえるための戦友という意味合いがあります。)
また事実を知ったうえでキングジコチューのことを父と慕っていました。しかしマナも大事だと言った後敵対行為を取ることに、違和感バリバリです。
どこでアン王女のお父様を本当の父と慕ったのか、その描写だけでは全く分かりません。今までの描写で、王様媒介のキングジコチューがレジーナさんにとっての父であると思っていたのですが、違ったのでしょうか。
とまあ、正直レジーナさんの心情が全然わかりません。ついでに言えば、キュアエースの心情もわかりません。というか、最初からキングジコチューを倒せば王様も帰ってきたのでは……?とツッコミながら見ていました。
自己中と愛について
そもそもこの二つの対比がおかしいと感じています。
私の中では、自他どちらかの愛が高まりすぎた時、それは誰かにとって自己中な行動になると思います。実際本作でもそのように指摘されています。ここまでは周知の事実です。
ここからが問題ですが、プリキュアにも上記の事実が適用されるはずだと思っています。
例えば、
・マナさんがアイちゃんを助けるため、助っ人の約束を破ったこと
・六花さんが敵キャラを助けたこと
・真琴さんが歌うことが好きだと主張したこと
などなど、例を挙げればキリがありません。たびたび敵側に指摘されていますが、それはジコチューにはならない。本編的には、仲間がいるから大丈夫だと主張していましたが、おかしな話です。
その理屈だと、今までのジコチューになった人は「仲間がいない」からということになりますし、そもそもプリキュアたちが仲間の自己中を抑えたエピソードはありません。
『プリキュアなら、自己中でも他人のためだからジコチューにならない』という理屈になります。それはヒーローものとして有なのでしょうか……?
じゃあどうすればいいかというと、自己中と愛は表裏一体だと明確に描くべきです。自己中を否定するのではなく、夢等も自己中の産物だと描くことです。
本作では他人のためになることは自己中じゃないと、主張していますがその理屈を通してはいけません。国王様の行為は間違いなく自己中でしたし、アン王女の行為も自己中です。それを肯定しては話がおかしくなります。
だからこそ、自己中な部分もあると認めるのが話の始まりです。自己中でもいい、だけど他人への愛を忘れてはいけない……というメッセージ性はいかがでしょうか。
あるいは、視聴者に投げる終わり方もありかもしれません。自己中と愛が表裏一体なら、キングジコチューも何かしらの愛があったから世界を侵略しようとした、となると一気にメッセージ性が強くなります。
プリキュアたちはそれを倒すしかなかったが、敵も愛ゆえの行動だった……として、愛と自己中の境界線の難しさについて子供たちに問いかける終わり方でしたら、賛否両論でしょうが私はすごく好きになりました。
現状のメッセージ性では、「自己中はダメだ、他人への愛が重要なんだ」という浅い議論で終わっています。
その他各論
戦闘面に関して
正直、あまり好みではありませんでした。理由はテンポの悪さを含む、センスを感じない戦闘シーンだからです。
例えば敵が攻撃する際も、小道具を出して掛け声をしてから防御します。それで間に合うのかというツッコミもありますが、それ以上に視聴者からすると間延びしているように思えます。
攻撃チャンスシーンでもいちいち小道具を出す演出を加えるので、戦闘シーンとしてテンポが悪いです。
それを抜きにしても、所謂ネタ回ではない戦闘回ではただ横に避けているだけみたいなシーンがあり、面白みを感じません。
ストーリー面
ツッコミどころ満載です。一番巨大なツッコミどころは、王様がキングジコチューになったところで、今まで通りジコチューという怪物になっただけなら普通に倒せばいいんじゃ……という部分です。
それがなぜか親子で血を血で争うシーンみたいな描き方をされていて、「え、なんで?」という疑問が常に頭をよぎってました。
他にも、レジーナさんがキングジコチューに洗脳された際、マナさんが落ち込むのですがこれも何が要因かわからない。
作中描写から察するに友達なのに分かり合えなくなったことだと思いますが、それは16話ぐらいで似たような描写があります。そちらも似たような感じですが落ち込むシーンはまったくなかったので、余計に意味が解りません。
これが、『せっかくレジーナさんと友達になれたのに、力不足でキングジコチューにレジーナさんを洗脳されてしまった……』という落ち込み方なら理解できますが、それならなぜ立ち上がらないのでしょうか。
今までのマナさんの描き方から、力不足という展開なら絶対修行するなりなんなりして強くなろうとするはずです。
その他もろもろ大なり小なりツッコミどころが存在し、その違和感が拭えず終わるのでお世辞にも高く評価できません。
総論
全体的に、二つの問題点が見受けられました。
製作陣の統制が取れてない点
視聴者と製作者の意識が解離している
製作陣の統制が取れてないというのは、13話の真琴さんの回が挙げられます。きちんとキャラの設定を理解してない印象を受けました。
意識の乖離というのは、散々指摘した通り『製作陣が意図したキャラの描写』と『実際に受け取る視聴者の印象』です。この理由はおそらく描写不足によるものかと。
やろうとしていることは理解できています。SSに近いことをやっているものの、そこに仲間との因縁を作ることで新たなドラマを作っています。ですが、製作陣が追い付いていなければあまり意味がありません。
ちょっとの工夫や描写の仕方で、いくらでも印象が変わったのにあまりに勿体ないです。急に新キャラを追加してくれ、と言われたことで内部統制が難しくなったのは仕方のないことですが、もう少し丁寧さが欲しかったところです。