見出し画像

ステレオの思い出

昨年夏に亡くなった父は若い頃からいろいろ趣味を持っていた様である。私が中学に上がり、吹奏楽部に入ってトロンボーンを吹き始めた後に、父から自分も吹奏楽部でユーフォニュームを吹いていたことを聞かされた。二十歳を過ぎて自動二輪の免許を取った時にも、父から昔オートバイが大好きだったと聞かされた。息子というものは不思議と父親と同じ様な趣味を持つものだと、はっきり思う様になった。
私が生まれた家は、二軒続きの長屋であった。風呂が無く、この家を12歳で出ていくまで、近所の祖父母の家に毎晩風呂に入りに通っていた。狭い二階の部屋には、ビクターの古い四つ足のステレオが置かれていた。音が鳴っていた記憶は無いが、大きなウーファーが一つと、ミドルレンジのスピーカーとツイーターが布張りの箱の前面に付いていた。Hi-Fiという文字が嵌め込まれていた様な気もする。とにかく当時でも古いなあと感じる時代感があった。私は小さい頃からレコードを聴くのが大好きで、童謡集を延々と何度も聞いていたが、流石に小学生になると時々好きなレコードを買ってもらっていた。確か生まれて初めて自分で買ったレコードはオリビアニュートンジョンのカントリーロードだったと思う。家の居間兼寝室には、木製の四つ足白黒テレビの上に、直径10センチにも満たないスピーカー一体型のレコードプレーヤーがあった。電源を入れると内部で真空管が赤く灯った。今改めてネットで検索すると、どうもVictor ste-7300 stereo systemという白黒色のモデルの様な気がする。

ネットオークションの記事で見つけたプレーヤー
記憶の通りと思う
50年以上昔の事なのだが、


 その頃、友達の家は様々で離れのある屋敷に住んでいる子もいれば、古いアパートに住んでいる子もいた。幼稚園から一緒だったO君の家はとんがり屋根の一軒家で、門と小さな庭があり、玄関を入るとまず左手に応接間があった。この頃の一軒家は何処でも洋室の応接間があるイメージだ。長屋暮らしの私には上品なお宅であった。O君の家に行くといつでもそこの応接間に通され、お母さんがお菓子とジュースを持って来てくれるのだ。中でも一際私が興奮したのは、濃い色の木製キャビネットに入った、セパレート型の最新ステレオであった。黒いネットが貼られた大きなスピーカーが両サイドに置かれており、威風堂々としており、聴いたことのない豊かな低音が流れ出すそのステレオで、好きなレコードを聴かせてもらう事が楽しみになった。O君とは当時皆んなが熱狂した宇宙戦艦ヤマトの共に熱狂的なファンであり、ヤマトの物語のダイジェスト版レコードを聴くと、その深い音の拡がりと未知の楽器が作り出す宇宙や兵器やエンジンの音にすっかり魅了されてしまった。

無限に拡がる大宇宙、で始まるナレーションと背景音に魅了された

 中学に上がる前に、奈良に一軒家を建てて引越し、自分の部屋が与えられた時、父は私にソニーの一体型ミニコンポを買ってくれた。ビクターの真空管レコードと違って、随分と現代風に進化しており、金属のボディーにガラスの蓋が付いており、レコードプレーヤーとカセットレコーダーとラジオが一体になっていた。そして紺色の布張りのブックシェルフ型スピーカーが付属しており、格段に良い音でレコードを聴くことが出来た。

うん、きっとこれだ!
記憶のステレオにそっくり

この頃没頭したのは、冨田勲さんのレコードとローランドのシンセサイザーである。

冨田氏のmoog system synthesizerに強い憧れを抱いた
特に水星を聴きながら、夜空の星を見るのが好きだった

シンセサイザーのことは別に書きたいのでここでは省くが、中学の音楽室でも時々冨田勲氏のレコードを聴いていた。なぜなら音楽室のステレオはなんと4チャンネルステレオだったのだから。音が周りをぐるぐる駆け巡るのだ。

社会人になり、ようやく非常勤嘱託の不安定な身分から常勤になれて、私のステレオ熱 オーディオ熱と言おうか、は再燃した。今度は本格的で、アキュフェーズのプリメインアンプとJBLの4312mkIIを購入した。電源タップはラックスマンにした。


JBLの青地に白いウーファーに惚れた

プリメインアンプに飽きたらず、次いでMacintoshのセパレート型 プリアンプC42とパワーアンプMC500を購入して、SONYの4Kプロセッサの搭載されたCDプレーヤーにテクニクスのレコードプレーヤーというアンバランスながら、フルコースのオーディオを組み上げた。

都会の夜景を思わせるMacintoshのアンプ
漆黒のガラスパネル
ブルーアイ
睫毛の様にふっと動くメーター

ここで子供が生まれてオーディオは封印せざるを得なくなる。その途端に別のリンゴマークのマッキントッシュは、アップルと名を変え、最初何に使うのか分からないiPhoneなる端末と、iPodなるミニ音楽プレーヤーを世に出した。SONYのカセットテープウォークマンや、そのほんの2、3年後のポータブルCDプレーヤーの出現に匹敵する、いやそれ以上の革新的な変化だった。

アップルのこの革命はオーディオ産業に相当な影を落としたと思われる。部屋の中でかさばり、掃除の邪魔になるオーディオは、電源も入ることなく、使われなくなっていた。

父の遺品の整理と共に、面倒くさくなってオーディオを全て買取会社に売ってしまった。もしもう一度、オーディオをやるならどんな組み合わせがいいだろうか。もっと小型で場所を取らず、デスクトップで完結する様なものでもいい。

 オーディオを辞めていた10数年は代わりにライカのカメラに没入した。他の記事に書いている通りである。当分はライカとiPhoneに有線イヤホンかなあ、と思うこの頃である。

ライカM11

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?