同志社大学神学部、そして慶應大学①〜佐藤優の著作に出会う〜

その本は夕焼けの日を浴びて輝いていた。 
 
  2017年4月、僕は同志社大学神学部へ進学した。元来、勉強が苦手だった僕にとって同志社の門を叩くこと自体が快挙であった。なぜ同志社大学神学部へ進学したのか。この決断をするに至った原因とも言うべき一冊の本がある。『同志社大学神学部(佐藤優)』という本だ。この本を手に取ったのは高校の図書室だった。

 当時、図書室を管理していた高校時代の恩師はかなりの読書家であり、佐藤優氏の本も図書室には数多くあった。先生自身、佐藤氏の著作をよく読んでいたためであろう。そんな先生からはたくさんの本を譲ってもらった。先生はかなりの読書家であり、さまざまな分野の本を渉猟していた。「これ読み終わったからもってけ」先生はこう僕に言い放って、結局300冊ほども譲り受けてしまった。

 そんなわけで読書好きであった自分も先生に惹かれていき、また先生も私のことを気にかけてくれた。こうした中で会うことになった『同志社大学神学部』という本は、僕にとって単なる本ではない。先生と僕の図書室での知的交流をいまだに思い出させてくれる特別な本なのである。この本の読書体験を超える経験はもうできないだろう。16か17の年齢で、ここまでの強烈な読書体験をしてしまうことが幸か不幸かは分からない。ただ、脳味噌の中心に激烈な知的好奇心が湧き上がったことを今でも鮮明に覚えている。

 高校生の自分は読書好きと言っても小説などのストーリー性があるものというよりかは、政治や思想などについて扱った本ばかりを読んでいた。それもあってか新聞は朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞、毎日新聞、北海道新聞、沖縄タイムス、琉球新報、赤旗、聖教新聞に目を通すばかりか、ネットを用いてCNN、BBC、スプートニク(ロシア)、NYタイムズ、ネナラ(北朝鮮)などの情報を毎日チェックするほどであった。日々知識が蓄積されていく感覚がなんとも心地よかった。知れば知るほど世の中の動きがわかるような気がした。

 『同志社大学神学部』に出会ったのは、高校2年生の9月ごろだったような気がする。高校の図書室は3階の西側に位置し、夕方になると夕陽が真っ直ぐに差し込んできて、その光景が僕は好きだった。午後の授業を終えた後の、あの微かな疲労感を背負いながら、ほのかに感じる暖かな夕日は実に心地よかった。『同志社大学神学部』はこの夕陽の日を浴びて輝いているように思えた。僕はこの本に自然と惹かれて、すぐさま本を借り、次の朝方には読み切ってしまった。「志望大学は同志社大学神学部」にしようと強く心に決めた。少し寒い秋の朝だった。



いいなと思ったら応援しよう!