同志社大学神学部、そして慶應大学③〜受験勉強(後編)〜

腕時計を忘れてしまった。
 
 2月の札幌は皮膚が痛むほどの寒さだ。だが、そんな寒さを忘れてしまうほど僕は焦っていた。というのもこの日が同志社大学の試験日だったからだ。

 まだ朝日も上らぬうちに起きて、兄に車で試験会場まで送ってもらった。試験会場は札幌中心部にある「建設会館」というビルだった。遅刻しないように、と遅刻魔であった僕達が早起きをして、試験会場に1時間も前に着いたというのは快挙だったと思う。試験会場が見える場所に車を停めて、僕は過去問を眺める。隣で兄は黙って外を見つめていた。試験会場の入室時間まで30分を切ったあたりで「そろそろ行こうかな」と言うと、緊張していた僕の顔を見てか、兄が何かアドバイスをくれた。ただ、何を言われたかは正直思い出せない。それほど緊張していた。

 バタン、と助手席のドアを閉め、僕は凍える寒空の下、試験会場へと歩いて行った。兄は車を走らせて行った。と、その時だった。僕は腕時計を忘れてしまったことに気がついた。急いで兄に電話をした。すると札幌駅の地下に朝早くからやっている100円ショップがあるからそこへ行こう、と言われた。兄の車に飛び乗り、札幌駅へと向かった。再び札幌駅で降ろしてもらい、僕は地下へと急いだ。しかし困ったことに100円ショップがどこにあるかわからないのである。車で待っていた兄に電話をすると「一旦、戻ってこい」と言われ、その後100円ショップに兄と一緒に行って何とか腕時計をゲットした。

 その時のことを兄の言葉を借りるならば、僕はまさに「泣く寸前の顔」をしていたらしい。そんなこんなで、その日は無事に試験を受けることができた。

 1週間後の合否発表で僕は不合格を知った。

 あまりショックは受けなかった。なぜだかはわからない。その日から僕はまた勉強を始めた。

 不合格を知ってから1ヶ月後の3月15日、寝る前に歯を磨いていた時のことだった。この日が追加合格の発表日だということを思い出し、全く期待することなくサイトを見てみるとなんと追加合格していたことに気がついたのだった。思わず口に含んでいた歯磨き粉を吹き出してしまった。急いでそのことを母に伝えるととても喜んでくれた。その後、塾の先生にも伝え、その夜に合格祝いをしてくれることになった。実はこの追加合格の発表というのはその日の午前中とか正午に行われていて、僕は自分がすでに追加合格していると知らずに塾で「浪人生として」英語の授業を受けていたのである。

 18歳になったばかりの、京都での新生活に期待を膨らませていた、そんな春だった。


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