5:フィクションノンフィクション 大人と子供が入り交じる場所で
駅前の観光案内所に立てられた幟旗が一様になびく様が目に入った。街起こしの一貫なのか、〈ようこそ!〉、赤地に濃紺色の文字の派手な配色がいやに物悲しい。右手には採算をとるつもりのなさそうな文房具店、お客がいる気配は全くないがそこにまだあった。左手には明るく両手を掲げて天を仰ぐ裸の細い女性像がこちらもまだある。
変わらない景色を一通り確認したところで、ロータリーに戻ってきたタクシーに乗り込んだ。タクシー乗り場に待機しているタクシーは1台もなかったが、乗り場で待つ乗客も自分だけだった。
子供の時、弟といつも一緒だった。
新発売の、振ると芯が出るタイプのシャープペンシルを二人で走って買いに行った。かなりの高級品だった。きらきらと光るシャープペンシルを見て、ありがとう、兄ちゃん。大事にする。彼はそう言ったのではなかったか。今はもう確かめようがない思い出は、居たたまれない気持ちにさせた。
車窓から覗く空は雲ひとつなく穏やかに澄みわたっている。あまりの晴天と自分の気分が合わなくて、そっと目を閉じた。
弟が亡くなったのは旅先だった。脳梗塞で突然の死。1人だった。弟は持病はなく、定期健診もしっかり受けていて、人より健康に気を遣っていたはずだった。
子供のいない弟夫婦は旅行が趣味で、お互いふらりと一人旅をよくしていたらしい。たまたま彼に電話した時に、沖縄の離島に居るんだと言われたこともあった。南アフリカ共和国で買わされたと派手なお面を、要らないと言ったのに家に置いていかれた事もあった。弟は札幌のホテルでひっそりと亡くなった。
医者同士の優秀な夫婦に子供がいないことを勿体なく思っていたが、楽しそうな二人は羨ましくもあった。
彼の葬式には予想を遥かに上回る人が来てくれた。急なことであったのに、学生時分の友人や、まだ若い医師が沢山来ていて、会場の平均年齢はぐっと低かった。家族ぐるみで付き合いがあった人も多いのだろうか、先生こそ理想の医師でした、と彼の妻に話していた人がいた。気丈に喪主を努めていた彼女は、一声もあげずに涙を流し、頭を下げた。
弟がもうこの世にいないと理解しても実感がないまま、ぼんやりとその様子を見ていた。自分が今死んだら、この半分も参列する人はいないだろう。喪主は妻がするのだろうが、彼女は自分のために泣いてくれるのだろうか。
しめやかに滞りなく式は終わり、いつの間にか弟が骨になっていても、まだドラマか映画を見ているかのようだった。どうした、しっかりしろ、と何度も自分に言い聞かせたが、どこか他人事のようで悲しむどころか現実味がない。
そのまま家に戻りいつもの生活に戻っても、ぼんやりとした、目の前にアクリル板を1枚挟んでいるような感覚が抜けきれなかった。妻は何も言わなかったし、この違和感は自分が感じているだけのものなのだろう。誰に何を言われた訳でもなかったが、弟と自分が一緒に過ごしていた街に行った方がいい気がした。
実家があった場所に降り立った。母と同居を決めた際に処分したので家は既にない。昔は同じような造りの家が立ち並んでいたが、立て替えが進み個性的な住宅地になっていた。元実家の場所には打ちっぱなしのコンクリート調の家がある。それでもここに立つと、自分の育った家を思うのは容易かった。シャープペンシルのように、弟との思い出はあとからあとから出てきた。どれくらいの時間が経ったのか分からないが、昼間とはいえ家の前に突っ立っている男は、立派に不審者なのではないかと気づき、自分らが通った小学校に向けてゆっくりと歩きだした。
地元に来てもぼんやりとした感覚は変わらなかった。もう後は時間が解決するしかないのか、と思った。小学校が見えてきて、記憶がまた押し寄せた。
記憶の中の弟は、子供の姿ばかりだった。それなりに会っていたはずのに、最近の弟を思い出そうとすると、微笑んでいた遺影が出てきてしまう。この先に弟はもういない、弟との思い出をつくることはもうないのだ、と気づいた。楽しかった子供時代に戻りたい気持ちになっていた。
感傷に浸っていると、ふいに涙がこぼれた。弟の死から初めてのことだった。彼にはまだまだやりたいことがあっただろう。早過ぎる彼の死を思い、悼んだ。
ハンカチで涙を拭うと、もう違う気がしていた。二度と彼に会えない自分が不憫で泣いたのではないか。ぼんやりとした頭でも、この考えはしっくりと来た。
どこまでも利己的な自分に嫌気がさして、駅に戻るための数少ないタクシーを探した。