SS 旅人と壺売り
世界の西の方にその旅人はいた。
気がつけば、いつも一人だった。
一人になりたかった。
人に会えば、気味悪がられた。表情が無いからだ。
嬉しくても、哀しくても、楽しくても、寂しくても上手く笑えなかった。
上手く泣けなかった。
だから、一人になりたくて旅人になった。
家に出る時、お母さんは泣いていた。旅人も悲しかった。
でも、やっぱり泣けなかった。
街を出る時、何人かは寂しそうにしてくれたように見えた。
旅人もさみしかった。
でも、やっぱり泣けなかった。
旅人は東の方へ行こうと決めた。
生まれてこの方、生まれた国を出たことがなかったからだ。
いろんな世界を見てみたかった。
街を出てしばらく東に進むと川があった。
そのほとりにブルーウィングの花を見つけた。
花びらの形が蝶のような花だ。
旅人は花が好きだった。
そこに愛情を注げば注ぐほど、綺麗に咲いてくれるからだ。
表情が無くても、花は気味悪がったりしない。
そして、旅人は花束が嫌いだった。
大好きな花を切られてしまうことが、自分のことのように悲しかったからだ。
「ごめんね。君を連れて行ってあげられないよ」
風に揺られたブルーウィングは、まるで飛び立とうとしているようだった。
「君はまるで、繋がれた蝶のようだね」
旅人はブルーウィングをそっとひと撫でして、川にかけられた橋を渡っていった。
橋を渡ると、旅人は懐から羊皮紙と万年筆を取り出した。
今日あったことや心に残ったことをそれに書くためだ。旅人は人に感情を伝えることができない。
だから、こうやって文字にのこしておくことを大事にしていた。
せめて、自分がそのときどんなことを感じていたかを自分は覚えておきたかった。
万年筆から染み出した藍色のインクは、羊皮紙によくなじんだ。
さらに東へ進んで次の街が見えてきたとき、道の端に店を出している少女がいた。
「ねぇ、そこの旅人さん。どうして、そんな顔をしているの? 」
通り過ぎようとしたとき、その少女に呼び止められた。
「この顔は、生まれつきこうなんだ」
少女はつぼを売っているようだった。
大小いろんな形のつぼが店の外にまで並んでいた。
「ふうん。私もずっとこの顔なんだよ」
そういって、旅人を覗き込んだ顔は何が面白いのか。
にやにやした笑顔だった。
「悲しいことがあってもかい? 」
旅人は尋ねた。
「うん。悲しいことがあっても」
少女は笑ったまま答えた。
「泣きたくなることがあってもかい? 」
旅人はさらに尋ねた。
「うん。泣きながら笑っているの」
少女は、やっぱり笑ったまま答えた。
「君はここでずっと一人なのかい? 」
街からも少し離れている場所で店を出していることを旅人は不思議に感じた。
「私と話すと、みんな気味悪がるからね。一人の方が気が楽なの」
この少女は、自分と似ているな、と旅人は思った。
「蝶が好きなの? 」
少女の店の看板に、一頭のモルフォ蝶が描かれてあることに旅人は気付くと少女に尋ねた。
「好きよ。だって、自由に空を飛べるでしょう。ひらひら、お花みたいじゃない」
手を翅のようにして、ひらめかせると少女はくるりと回ってみせた。
なるほどな、と旅人は思い少女の台詞を羊皮紙に書き留めた。
「ところで君さ。おすすめの壺はあるかい。でも、僕は旅の途中だからね。あんまり大きいのはちょっと持っていけないけれど。」
だったら……、とにやけ顔の少女は、店の奥に戻っていった。
「これじゃない。ええっと。んん。どこにやったかな。あぁ、あった。これだ」
少女は、掌の大きさ程の壺を旅人に差し出した。
「これはね。『言霊の壺』」だよ。中には、とっておきのインクが入っているの」
旅人が、壺の中を覗くと濃い藍色のインクが静かに波打っている。
「旅人さん、さっき万年筆使っていたでしょう。今度、そのインクを使って『必要な言葉』を書いてごらん。きっと、いいことが起こるよ。でもね。出来ないこともあるから。あと、インクはそれだけだからおかわりはできません」
壺売りの少女は、旅人にはよく分からないことをにやにやと伝えた。
そして、旅人が店を離れるのを待ってから笑顔をつくるのをやめた。
「どうか、あの人が笑える日がきますように」
街へ着くと、雪が降り出した。
今年はとくに冷え込んでいるようで、あっという間に旅人がかぶっていた帽子は白くなっていく。
「早く、宿を探さないとな」
旅人が今日の宿を探していると、道の端で凍えている少年を見つけた。
家を出されてしまったのだろうか。
それとも親が居ないのだろうか。
膝を抱えて、寒さに震えていた。
コートをあげれば、今度は自分が凍えてしまう。
服を買ってあげようにも、旅人も度に必要なお金以外はもっていなかった。
そのとき、ぼうっと壺売りからもらった壺が光った。
不思議に思った旅人が壺を開けると光を放った藍のインクが旅人の懐の万年筆に吸い込まれていった。
旅人はおそるおそる万年筆を取り出し、壺売りの少女の言葉を思い出した。
「『必要な言葉』を書いてごらん」
確かにあの少女はそう言った。
旅人は膝を抱えている少年に尋ねた。
「なあ、君。今、君が欲しいものはなんだい」
少年は、救いを求めるようにこちらを見上げ
「毛布が欲しい。寒さがしのげる毛布」と言った。
旅人は、羊皮紙を取り出し『毛布』と書いた。
すると、染みこんだはずの藍色のインクが羊皮紙から飛び出し、ふわっとした暖かそうな毛布になって、少年の体を包んだ。
「ありがとう。これで久しぶりにゆっくり眠れそうだ」
少年は心底嬉しそうな顔をして旅人にお礼を言った。旅人は照れくさかったが、表情を変わらないことを見られないようにと少年と言葉を交わすことなく、その場を後にした。
「なるほど」
宿に戻った後、旅人は部屋で色々と試していた。
どうやら、『言霊の壺』に入っているインクで羊皮紙に『言葉』を書くと、インクが書かれてものに姿を変えるらしかった。
『毛布』と書けば、ふわふわの毛布が現れ、『スープ』と書けば一皿の温かいスープになる。
ただ、『お母さん』と書いてもインクは姿を変えてはくれなかった。
これが少女が言っていた『出来ない』ことなんだろう。
でも、僕に必要なものって何だろう。
嬉しいときに笑ってみたい。
悲しいときに泣いてみたい。
そんな願いはあっても、インクはきっと叶えてくれないだろう。
そんなことを考えながら旅人は眠りについた。
旅人は宿をでるとさらに東の方へ旅をつづけた。
その途中で色んな人に出会った。
腰を痛めて畑仕事ができなくなった老夫婦には『一年中、実のなる木』を出してあげた。
海を渡るために乗った船の船長は、娘に会えないと悲しんでいたので、『娘を映し出す鏡』を出してあげた。
そうやって、旅人は誰かが心から望むものを魔法のインクで書いてあげることにした。
その時の出来事や人々の嬉しそうな様子を羊皮紙に書くことも忘れなかった。
「また、あの子に会ったらみやげ話をしよう」
いつかの街で出会った壺売りの少女にまた会う日が楽しみになっていった。
そんな旅人の噂をどこかで聞きつけたのだろう。
世界の真ん中の国に差しかかった時に兵士に呼び止められた。
「国王様が呼んでいる。城までついてきてもらおう」
王様が何の用だろうか、と思ったが、兵士に連れられて国王の待つ城へと行くことにした。
お城に着き、国王の間に通されると国王はすでに旅人を待っていた。
「お前が魔法を使う旅人だな。噂は聞いている。その万年筆で何でも出せるそうじゃないか」
王様は旅人に詰め寄って問いただし始めた。
「何でも出せるわけではありません。それに、誰かが本当に望んだものしか出したくありません」
僕が魔法を使っている訳ではないのだけどな、旅人はそう思いながら王様に答えた。
それにインクもこれまでの旅で半分くらいに減っていたので、大事に使っていきたかった。
「今、この国はいくつかの国と戦をしていてだな。どうしても、兵士が足りないんだ」
王様は、さらに旅人に詰め寄った。
「王様。僕も試したことがあるのですが、どうやら『人』は出すことが出来ないようなんです」
旅人は、宿で『お母さん』と書いたときのことを話した。
「では、武器はどうかな。旅人。それなら、出せるんじゃないか」
王様は少し考え、旅人に尋ねた。
「王様。私は人のためにこのインクを使いたいんです」
冗談じゃない。
旅人は心の中で憤った。
武器を出してしまえば、たくさんの命が奪われてしまう。自分が戦争に行かなくても、手を貸したようなものだ。
「うるさい。いいからお前のその万年筆を寄こせ」
王様は兵士に旅人を抑えさせ、無理矢理に万年筆を奪った。
そして、大臣に羊皮紙を用意させ、『銃を千丁』『馬を百頭』『鎧を一万』と次々におそろしいものを書いていった。
旅人は恐怖した。
そして、何よりそんなことに魔法のインクを使ってしまったことを悲しんだ。
「あれ。様子がおかしいぞ」
羊皮紙に染みこんだインクは、いつもなら柔らかな光を灯すはずなのに、今は怒っているかのように激しく光っている。
「うぅっ。何も見えない。大臣、何とかしろ」
一番近くで目に光を浴びた王様は、周りが見えなくなっているようだった。
その時、羊皮紙から光の勢いのまま飛び出した藍色のインクは、王様や大臣、兵士を取り囲んで包み込んだ。
そして、なんと羊皮紙の中に連れ去ってしまったのだ。
あまりの出来事に旅人は少しの間、呆気に取られていた。
しばらくして、王様達が吸い込まれてしまった羊皮紙を覗き込むとそこには、「おろか者達」という文字と王様達の姿が描かれていた。
王様が居なくなった真ん中の国の城から出て、旅人が次の街へ向かおうとすると、そこに一頭の蝶がひらひらと飛んできた。
そして、旅人の帽子にとまった。
「やあ、久しぶりだね。旅人さん。調子はどう? それにして、君は相変わらず不愛想な顔をしているね」
道の外れに目をやると、見覚えのあるにやにや顔が旅人を待ち受けていた。
「そういう君も相変わらずのにやけ顔だね」
旅人は友人に会うような懐かしい気持ちになった。
「その『言霊の壺』のインクを正しく使ってくれたようだね。感心。感心」
少女は満足げに、にやにやを深めた。
「それがそうでもないよ」
旅人は、真ん中の国の王様に戦争を手伝うように命令されたことや、王様に万年筆を奪われて使われてしまったこと。
王様やその家来達が羊皮紙に吸い込まれてしまったことを話した。
「そのインクはね。使う人は選ぶんだ。言葉はさ、何のために使うかで輝きがちがうんだよ」
難しいことを言うもんだな、と旅人は思った。
少女は構わず続けた。
「自分達だけのことを考えて、人を不幸にする言葉は重く鈍く光るんだ。そして、誰かのために使った言葉は、優しく温かく光る。あなたがどんな気持ちで、それを使っていたかは、いつも書き溜めている羊皮紙を見れば分かるでしょう」
だから王様が羊皮紙に言葉を書いたとき、いつもと光り方が違ったのか、と旅人は納得した。
「ところで君はなぜ、この壺を僕にくれたんだい」
旅人はずっと聞きたかったことを、少女に尋ねた。
「それは、あなたがその子を愛でてくれたからだよ」
壺売りの少女が指したのは、帽子で遊んでいた蝶だった。ひらひらと旅人の帽子から離れた蝶は二人の間の地面にとまり、淡い光を放ちながらブルーウィングの花となった。
「蝶は飛ぶ花」
少女は、手をひらめかせながら楽しそうに笑った。
「花は繋がれた蝶」
旅人は、いつかの自分の台詞を思い出しながら呟いた。
「もしかしたら、『住処を見つけた蝶』と呼んでほしいかもよ」
確かにそうだな、と旅人はそのとき初めて静かに笑った。