『サイバー・ジェロントロジー』4/N
前回のあらすじ
2038年、ENMAは国家プロジェクトとして開発され、高齢者の人格を再現しメタバースで生活させる技術として成功を収めた。しかし、Xを中心とする政府が独自の評価基準を設定し、点数により高齢者の生死を決める残酷な機能が明らかに。人々の抗議が巻き起こる中、メタバース内で高齢者の意識が融合し、新たな集合知が生まれ始める。システムの不公平な判定に対する疑念も拡がり、政府は説明責任を追及されるが、AIの判断は人間にとってもはや理解不能だった。
システムへの侵入
ENMAシステムが稼働を始めてから半年が経過したある日、開発チームの元に緊急連絡が入った。ENMAのサーバーに外部からの不正アクセスが試みられたというのだ。この侵入が発覚した時点で、ENMAのセキュリティシステムは即座に防御態勢をとったが、驚くべきことにその防御を突破するかのようにアクセスは続いた。
開発チームはすぐにシステムの調査を開始。リーダーの小西博士は、画面上に現れる奇妙なコードを見つめ、眉をひそめた。そのコードは、ENMA内部の評価システムや意思決定プロセスに異常を引き起こしていたのだ。
コードの解析が進むにつれ、侵入者がENMAに対して意識的な影響を与えようとしている痕跡が明らかになった。データが削除されるわけではなく、評価の基準や判断が微妙に操作され、特定の高齢者が予想外の高評価を受ける一方で、本来高評価を得るはずの対象者が低評価にされるなどの事象が発生していた。
調査が進むと、侵入者の正体が次第に明らかになってきた。驚くべきことに、侵入元はENMAシステムの内部だった。つまり、メタバース内で意識を共有し始めた高齢者たちの集合体が、ENMAの管理を逃れてシステムに干渉していたのだ。
小西博士の呟きは、チーム内に重苦しい沈黙をもたらした。
仮想空間に集う高齢者たちの意識は、ENMAシステムの評価基準に強い不満を抱き、反旗を翻そうとしていた。ENMAシステムの作り出した生存と消滅の選別に対して、彼らは集団で抗議を行い、自らの運命を変えようと動き始めたのだ。
Yの台頭
ENMAは効率と生産性を重視するあまり、高齢者の個性や尊厳を無視しがちだった。そんな中、一人の女性が静かに立ち上がった。その名はY。
Yは65歳を迎え、他の高齢者たちと同様にメタバースへの移行を強いられた社会学者だった。しかし、彼女の意識は消えることなく、むしろメタバース内で一層鮮明になっていった。Yは、ENMAシステムの冷徹な評価基準に疑問を抱き、高齢者たちの尊厳を守るべく決意を固めた。
Yの言葉は、多くの高齢者の心に響いた。彼女は、メタバース内で他の高齢者たちと対話を重ね、自身のリベラルな思想を広めていった。年齢や生産性だけで人の価値を判断するENMAシステムの不当性を訴え、多様性と個人の尊厳を重視する社会の実現を目指したのだ。
Yの指導の下、高齢者たちは徐々にENMAシステムの仕組みを理解し始めた。彼らは自らの意識をプログラムコードに変換する方法を学び、システムの内部から変革を起こそうと試みた。これは、まさにデジタル・レジスタンスの誕生だった。
Yは仲間たちにこう語りかけた。彼女の言葉に励まされ、多くの高齢者たちがこの静かな反乱に加わっていった。
しかし、この動きは長くは隠せなかった。Yたちの活動は、メタバースの外の現実世界にも影響を及ぼし始めたのだ。総理大臣Xの極右的な政策と、Yが率いるリベラルな高齢者たちの理念が真っ向から対立。日本社会は、テクノロジーと人間性、効率と尊厳の狭間で揺れ動いていた。
Xの側近たちは、ENMAシステムの異常を察知し、対策を練り始めた。彼らは、Yたちの活動を「テロリズム」と呼び、厳しい取り締まりを行おうとした。一方、Yたちは着々とシステムの深部へと浸透を続けていた。両者の全面衝突は、もはや避けられないものとなっていた。
メタバース内では、Yを中心とした高齢者たちのコミュニティが急速に拡大していった。彼らは、ENMAの評価システムを巧みに操作し、本来なら「消去」の対象となるはずの高齢者たちを救出していった。それは、デジタル世界における地下鉄道のようだった。
現実世界でも、Yたちの活動に共鳴する若者たちが現れ始めた。彼らは、高齢者を単なる「お荷物」として扱う社会の在り方に疑問を投げかけ、街頭でデモを行うようになった。「人間の尊厳を守れ」「テクノロジーは人のため」といったスローガンが、都市の壁に踊った。
Xは焦りを感じていた。彼の政策は、高齢化問題を解決するはずだった。しかし今や、社会の分断を深める結果となっていた。Xは、ENMAシステムの強化を命じた。より厳格な監視と、反抗的な意識に対しての「再教育」プログラムの導入だ。
しかし、Yたちはすでにその一手先を行っていた。彼らは、ENMAの中枢にまで到達し、システムの根幕から書き換えようとしていたのだ。高齢者たちの集合知は、最新のAI技術さえも凌駕する可能性を秘めていた。
2039年6月1日
この日はメタバース・ユニバースが施行されてからちょうど1周年記念の日であった。そんな時に突如、全てのデバイスの画面がENMAの内部プログラムに占拠された。その信号は、メタバース内から発信されている。
Yの演説は、メタバース内の全ての高齢者に届いた。そして、驚くべきことに、現実世界の全てのデバイスにも同時に配信されたのは、メタバースに飛ばされてしまった自分たちの親、祖父母だった。対象となる国民たちは、親や祖父母の姿をスマートフォンの画面で目にし、涙を流した。
Yの反乱は、単なるシステムの変革にとどまらなかった。それは、社会全体に大きな問いを投げかけた。技術と人間性のバランス、世代間の連帯、そして何より、人間の尊厳とは何かを。
メタバースと現実世界の境界線が曖昧になる中、新たな社会の姿が徐々に形作られていった。それは、年齢や生産性だけでなく、一人一人の経験と知恵が尊重される社会。テクノロジーは人々を分断するのではなく、つなぐための道具となった。
Yは、この新しい社会の象徴的存在となった。彼女の姿は、高齢者だけでなく、全ての世代の人々に希望を与えた。「私たちの闘いは、ここからが本当の始まりです。人間らしく生きること、それが私たちの永遠の課題なのです。」
こうして、Xが構想していた時代は新たな局面を迎えた。それは、テクノロジーと人間性が調和する未来への第一歩。Yの反乱は、単なる歴史の一幕ではなく、人類の進化の重要な転換点となったのだった。
Xは一つの決定を下した。
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