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『サイバー・ジェロントロジー』10/N

前回のあらすじ

YたちはENMAシステムの最深部「迷宮」に潜入し、無数のセキュリティ層を突破しながら進んでいく。空間は現実感を失い、星々が漂う幻想的な異次元に変貌。監視AIが執拗に追跡する中、Yはフェイクルートや幽霊信号を駆使して進路を確保するが、迷宮はますます不安定に。最深部で巨大な扉を発見した彼らは、崩壊する空間の中で扉を越え、ENMAの核心部へ到達する。そこには真実が隠されているが、さらに強力な防衛システムが待ち受けていた。彼らは一歩も引かず、真実を求めて核心部へと足を踏み入れる。

一方でXの昔の話に戻る。

「宇宙に向かう意識」

Xが大学に入学したのは、何よりも強い使命感からだった。Xの家族には認知症の祖父がいて、その変わり果てた姿を目にしてきた彼は、高齢者がかつての自分を失っていくことに対して強い虚しさと違和感を覚えていた。成長するにつれて、彼の目には社会全体が年老いていく様子が映り、この現実をどうにか打破する手立てはないのかと考えるようになった。

どの先進国も同じ課題に直面している。長寿化に伴う認知症や高齢化問題を解決するために、医療や介護、リハビリの分野でさまざまな対策が試みられている。しかし、それらの多くは現状を延命するだけで、根本的な問題に取り組んでいるとは言い難かった。高齢者が次第に身体の自由を失い、社会の負担として扱われる現状に対して、Xは強い不満と無力感を抱いていた。

「この社会は、今のままで良いのだろうか?もっと根本的な解決策が必要なんじゃないか」

この疑問こそが、Xを突き動かした。彼が探し求めていたのは、ただの医学的解決ではなく、社会全体の在り方を変えるような根本的な方法だった。解決策がこの地球上には存在しないのならば、それを見つけ出すために、地球の枠を超える必要があるかもしれない——そう考えたXは、大学で宇宙工学を専攻することを決意した。

大学に入ったXは、ロケット技術や軌道力学といった地球の枠を超えた広大なスケールの研究に没頭する日々を過ごした。周囲の学生たちが宇宙への夢に胸を膨らませて学ぶ中、Xはある種の焦りを感じていた。彼の目的は宇宙の神秘に触れることではなく、高齢化社会や人類の未来に対する具体的な解決策を見出すことだったからだ。

そして、ある日の研究室でのことだった。無限の宇宙について考える中で、ふとXはある発想を思いつく。それは、物理的に人を宇宙に送るのではなく、人の意識そのものを宇宙と結びつけることができないだろうか、というアイデアだった。この地上に囚われた物理的な身体から解放し、意識や存在そのものが宇宙の広大な領域に溶け込むことができるとしたら?これは、これまでのどの解決策とも違う、人類全体を救い得るドラスチックな方法なのではないかと直感した。

当時はまだ仮想現実やメタバースといった概念が世間に浸透していなかった。物理的な宇宙旅行が主流の考えであり、誰もが「実体」を伴う宇宙探査を夢見ていた。しかし、Xにとってはその「実体」こそが問題だった。人類は身体という制約に囚われているからこそ、老いや病に苦しむ。では、もしその「実体」を取り除いて、意識だけを宇宙に投射することができるなら?

この壮大な発想は、瞬く間にXの中で構想を深め、形を成していった。意識や存在をデータとして抽象化し、それを宇宙的な空間に浮かび上がらせることができるなら、個々の存在は地球の制約から解き放たれ、宇宙的な次元へと移行することができる。この仮想的な「宇宙」へと移住する未来の社会が、Xの頭の中で鮮やかに描かれ始めた。

「もしこれが実現できたら、高齢化問題は解決されるだけでなく、地球という制約に縛られない人類の新たな時代が始まるかもしれない」

興奮したXは、意気揚々とこのアイデアを教授に相談した。しかし、教授は彼の着想に眉をひそめ、こう言い放った。

「君の発想は面白いが、科学というものは現実の理論と実験に基づくものだ。君が言っているのは、空想に過ぎない」

その言葉に、一瞬Xは動揺した。しかし、彼の中には確固たる信念があった。「人類の未来を変えるためには、既存の科学の枠を超えた方法が必要だ」。Xは周囲の理解を得られなくとも、密かに自分のアイデアを探求し続けることを決めた。彼は徹夜を繰り返し、意識をデータに変換して仮想空間に投射する技術を独自に研究した。

数年の試行錯誤を経て、Xはついに、意識を地球上の物理的な制約から解き放ち、宇宙的な空間に投影する理論的な方法を確立した。しかし、その理論はあまりに壮大で、当時の技術や倫理の基準を大きく超えていた。もしこの研究を発表したら、科学界での立場や自身のキャリアも失いかねない。それでも、Xは夢を捨てなかった。

「この理論は、ただの夢想ではなく、未来に向けた一つの遺産なんだ」

Xはその理論を「未来への遺産」として密かに温め続けた。地上の身体の限界を超え、意識だけが宇宙空間に拡がっていく未来。それはXが描く、高齢化社会を終わらせ、人々が制約から解放されるビジョンであり、彼にとって究極の理想だった。

やがて、この壮大な構想は、時代の進展とともに徐々に現実味を帯び始めた。仮想現実やデジタル技術が進化し、世の中には「メタバース」と呼ばれる仮想空間の概念が登場し始めた。Xはそれを見て確信した。「今こそ、自分の夢を実現する時だ」と。そして彼が温め続けた構想は、ついに「メタバース・ユニバース」という形で発表されるに至った。

「メタバース・ユニバース」は、人間の意識をデータとして次元を超えた空間に解き放つという、まさにXが描いた通りの新しい未来の姿だった。彼が大学時代に抱いた「宇宙に向かう意識」というアイデアが現実となり、高齢化や認知症といった地球の問題を根本から解決する一助となることを彼は信じていた。

Xの発想が、やがて人類の新たな時代を築くための礎となる日が来るかもしれない。その時、人々は地球の枠を超えて、真の自由と解放を手にすることができるのだろうか。

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