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『サイバー・ジェロントロジー』2/N

2038年6月1日、メタバース・ユニバース移行計画が本格的に始動した。Xの強力なリーダーシップの下、国家プロジェクトとして推進された。しかし、その過程は決して平坦ではなかった。

反対運動の萌芽

計画発表直後から、社会の各層で不安と懸念の声が上がり始めた。特に高齢者団体や人権擁護組織からの反発は強く、「人間の尊厳を奪うな」「デジタル収容所反対」などのスローガンが瞬く間に広まった。
東京・日比谷公園で開かれた最初の大規模集会には、予想を上回る5万人以上が参加。高齢者だけでなく、その家族や若者の姿も目立った。壇上に立った日本高齢者福祉協会の田中洋子会長(78)は、涙ながらに訴えた。

「私たちの人生は、デジタルの世界に閉じ込められるほど軽いものではありません。私たちには、この実体のある世界で生きる権利があるのです」

この言葉に、会場からは大きな拍手が沸き起こった。

メディアの反応と世論の分断

メディアの反応も賛否両論に分かれた。保守系メディアは「伝統的な家族観の崩壊」を懸念し、リベラル系メディアは「人権侵害の可能性」を指摘。SNS上では激しい議論が交わされ、時に誹謗中傷に発展するケースも見られた。
世論調査では、若年層と高齢者層で明確な意見の相違が浮き彫りになった。20代〜40代の約65%が計画に賛成する一方、60代以上では80%以上が反対を表明。世代間の溝は深まるばかりだった。

抗議活動の激化

7月に入ると、抗議活動はさらにエスカレートした。全国各地で連日デモが行われ、参加者の数は増加の一途をたどった。東京・霞が関では、省庁職員の出勤を妨げるほどの大規模な座り込みが行われ、警察との小競り合いも発生。負傷者が出る事態にまで発展した。
大阪では、メタバース関連企業のオフィスに投石する過激派も現れ、窓ガラスが割られる被害が出た。警察は厳重警戒態勢を敷いたが、抗議者の怒りは収まる気配を見せなかった。

Xの対応と強硬姿勢

こうした事態にもかかわらず、Xは強硬な姿勢を崩さなかった。緊急記者会見を開いたXは、冷静な表情で次のように語った。

「私は皆さんの不安をよく理解しています。しかし、この計画は日本の未来のために避けては通れない道なのです。高齢化社会の限界を超え、新たな共生の形を模索する。それが、メタバース・ユニバース計画の本質です」

さらにXは、「国家存続のための必要悪」という表現を用い、計画の重要性を強調した。この発言は、反対派の怒りに油を注ぐ結果となった。

国会での攻防

国会でも激しい議論が交わされた。野党は一斉に反対の姿勢を示し、連日の質問攻めでXを追及。与党内からも慎重論が出始め、Xの政権運営は徐々に困難さを増していった。
ある日の予算委員会。野党第一党の幹事長である佐藤健太郎議員が、鋭く切り込んだ。

「総理、あなたは高齢者を『お荷物』と考えているのではありませんか?この計画は、まさに『デジタル安楽死』ではないですか?」

これに対しXは、冷静さを保ちつつも、やや感情的な口調で反論した。

「佐藤議員。私はむしろ、高齢者の方々により豊かな『第二の人生』を提供しようとしているのです。現実世界での肉体的制約から解放され、無限の可能性を持つメタバースで、新たな生きがいを見出していただく。それが、この計画の本質なのです」

しかし、この言葉も反対派の心を動かすには至らなかった。

国際社会の反応

日本の動きは、国際社会からも注目を集めた。欧米諸国からは人権侵害の懸念が示され、国連人権理事会では日本政府に説明を求める声明が採択された。
一方で、同様の高齢化問題を抱える韓国や中国からは、「革新的な取り組み」として評価する声も上がった。特に中国政府は、日本の経験を参考に独自のメタバース計画の検討を始めたと報じられた。

SNS上での情報戦

SNS上では、賛成派と反対派の激しい論争が繰り広げられた。ハッシュタグ「#メタバース移行反対」「#デジタル収容所NO」が トレンド入りする一方、「#新しい共生」「#メタバースの未来」といった賛成派のハッシュタグも拡散。時に、フェイクニュースや誹謗中傷が飛び交い、ネット上は混沌とした状況に陥った。
政府はSNS上での情報操作を懸念し、「サイバー対策室」を新設。しかし、この動きは「言論統制だ」との批判を招き、さらなる反発を生む結果となった。

高齢者の声

メディアは競って高齢者の声を取り上げた。83歳の元大学教授、山田太郎さんは、涙ながらにこう語った。

「私には、毎朝妻の墓参りをする日課があります。デジタルの世界では、その感覚が味わえないでしょう。人生の終わりを、現実の世界で迎えたいのです」

一方で、メタバース移行に前向きな高齢者も存在した。難病を抱える76歳の佐々木美子さんは、期待を込めてこう語る。

「もう一度、自由に歩けるようになれるなんて、夢のようです。メタバースなら、孫たちともっと一緒に遊べるかもしれません」

こうした声は、問題の複雑さを浮き彫りにした。

若者たちの動き

この問題は、若い世代にも大きな影響を与えた。大学生を中心に「メタバース移行賛成派」が組織され、SNSを中心に活発な活動を展開。「#未来のための決断」というハッシュタグが若者の間で人気を集めた。
東京大学の学生サークル「Future Design Lab」代表の中村優子さん(21)は、こう語る。

「私たちの世代が、高齢者の方々を支え続けるのは現実的に困難です。メタバース移行は、世代間の新しい共生の形を提示していると思います」

しかし、祖父母との関係を大切にする若者たちからは、「家族の絆を壊すのか」という批判の声も上がった。

企業の対応

メタバース関連企業は、この国家プロジェクトを追い風に急成長を遂げていた。しかし、抗議活動の激化に伴い、企業のイメージダウンや社員の安全確保が課題となった。
大手メタバース開発企業「NeoReality社」の広報担当者は、次のようにコメントした。

「我々は技術で人々を幸せにしたいと考えています。しかし、社会の分断を望んでいるわけではありません。政府と市民の対話の場を設けるなど、私たちにできることを模索していきます」

一方で、従来型の介護サービス企業からは、事業存続の危機を訴える声が相次いだ。

新たな動き

9月に入ると、状況に新たな展開が見られた。ノーベル平和賞受賞者の山本和子氏(89)が、「対話による解決」を呼びかけたのだ。山本氏は、政府と反対派の仲介役を買って出た。

「この問題には、簡単な答えはありません。しかし、対立を深めるのではなく、互いの立場を理解し合うことから始めるべきです。高齢者の尊厳と、若い世代の未来。両方を大切にする解決策を、共に見出していきましょう」

この呼びかけは、社会に大きな反響を呼んだ。Xも、この提案を受け入れる姿勢を示した。

対話の始まり

10月1日、政府と反対派の代表者による初めての公開討論会が開かれた。会場となった東京国際フォーラムには、3000人以上の市民が詰めかけた。
Xは冒頭の挨拶で、次のように語った。

「今日という日は、私たちの社会の未来を左右する重要な一歩となるでしょう。ここでの議論を通じて、より良い解決策を見出していきたいと思います」

反対派を代表して登壇した日本高齢者福祉協会の田中会長も、対話の重要性を強調した。

「私たちは、単に反対するためにここにいるのではありません。高齢者の尊厳を守りつつ、社会の未来を考える。そのための建設的な議論を期待しています」

討論は時に激しさを増したが、双方が歩み寄りの姿勢を見せる場面もあった。この討論会は、メディアを通じて全国に生中継された。

新たな展望

討論会後、社会の雰囲気に少しずつ変化が見られるようになった。対立一辺倒だった議論に、新たな視点が加わり始めたのだ。
ある識者は、こう指摘した。

「完全な移行か、完全な現状維持か。その二択ではなく、両者のハイブリッドな形を模索する必要があるのではないでしょうか」

この意見に、多くの人が共感を示した。政府も、計画の一部修正を検討し始めた。
Xは11月15日の記者会見で、次のように語った。

「私たちは、皆さんの声に真摯に耳を傾けてきました。そして、メタバース・ユニバース計画を、より柔軟で選択肢のあるものに修正することを決定しました。強制的な移行ではなく、個人の意思を尊重した段階的な導入を目指します」

この発言は、社会に大きな安堵をもたらした。反対派の一部からも、「対話の成果」として評価する声が上がった。

未来への道

メタバース・ユニバース計画は、紆余曲折を経ながらも、新たな段階に入った。完全な解決には程遠いものの、社会の分断を乗り越え、共に未来を模索する機運が生まれつつあった。
この騒動は、技術革新と人間の尊厳、世代間の対立と共生など、現代社会が抱える本質的な問題を浮き彫りにした。そして、それらの問題に向き合い、対話を重ねることの重要性を、改めて社会に問いかけたのだった。2038年の日本は、まさに新たな時代の幕開けを迎えようとしていた。


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