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第50回東日本新人王決定戦 1993年12月19日 「後楽園ホールのベランダより~追憶の90年代ボクシング Vol.21」

暮れの風物詩、東日本新人王決定戦

平成初期の12月、ボクシングファンのお楽しみのひとつと言えば新人王戦だ。年末に東日本、西日本でそれぞれの新人王が決定し、翌年2月あたりに全日本新人王決定戦が東京、大阪の持ち回りで開催されるというのがお決まりだった。

僕が初めて新人王決定戦を生観戦したのは93年2月、第39回全日本新人王決定戦だ。その日の注目選手はなんといっても東軍ライト級の坂本博之(角海老宝石)。平成のKOキングの豪快なボクシングを観るつもりだったのだが、この日の坂本は意外にもアウトボクシングを展開。思った以上に器用なところも見せてポイント勝ちしている。他にも話題だったのは、たこ八郎の親戚という斉藤清人。斉藤は福島未来(島)を相手に判定勝ち。最優秀選手に輝いたのは、西軍の瀬徹(陽光アダチ)で、東軍の敢闘賞を獲得したパンチャー、間々田雄一(ヨネクラ)をスリリングな打ち合いの末に3RにTKOで退けている。

ルーキーキング決定戦とはいえタイトルがかかる試合に両選手におくられる声援は想像したよりも凄まじく、新人王戦ならではの熱気というものを初体験し、一気にその魅力に引き込まれた僕は、この年暮れの東日本新人王決定戦も生観戦することにした。

もうひとつ「これは観に行かないと」と思わされた理由は、僕がワタナベジムで練習していた頃にその練習ぶりをよく眺めていた選手が4人も決勝戦まで勝ち上がってきていたからだった。

J·フェザーの丸山哲巨、ライトの梅田敏治、J·ウェルターの遠山健司、ウェルターの越川雅也。みんな約1年にわたってその練習ぶりをみてきた選手ばかり。彼らが決勝の舞台でどんなボクシングを披露するのか、見逃すわけにはいかない。

後の日本王者、松倉義明らが登場した序盤戦。

さて、ここからは当時の記憶と動画、ボクシングマガジンの記事でこの日を再構成していきたい。

試合はJ·フライ級、粕谷弘裕幸(角海老宝石)vs島津光也(上滝)の試合からスタート。ボクマガの記事で確認すると、ミドル級以外はすべて6回戦で行われている。

つまりは決勝にたどりつく前にほとんどの選手が4勝以上をあげているわけだ。新人王戦は2度目のチャレンジという選手もいたと思うが、そうでなかったとしても参加選手の多いこの時代ならではのことだろう。

J·フライ級は粕谷、フライ級は青島大介(相模原ヨネクラ)がそれぞれ判定で東日本新人王に輝いた。

J·バンタム級では、後の日本王者、松倉義明(宮田)清田芳正(松戸平沼)と対戦している。2年後には僕自身が宮田ジムで練習をすることになるのだが、もちろんこの時はそんなことなど知る由もない。この頃から松倉のパンチャーぶりは際立っていたが、この日は清田が距離を支配し、要所でいいパンチを当てていた。松倉の方は、これはダウンでは?!と思われた場面がスリップ判定されるなど、この日は運も味方してくれなかった印象で、清田が判定勝ちをおさめている。

バンタム級は互いに決定的なチャンスを作ることができず、1-0の引き分け。優勢点をもぎとった石川浩久(角海老宝石)伊藤正明(ヨネクラ)をおさえて全日本へと駒を進めた。

そして、いよいよワタナベ四人衆(と僕が勝手に名付けていたのだが…)の登場だ。

一人目は、J·フェザー級、丸山哲巨。迎えるのは、原田好昭(花形)。当時の丸山くんはまだ18歳。僕がワタナベで練習していた頃はまだ16、17歳だった。高校には進学せず、すでに働いていたと思う。その頃からきれいなフォームと華麗なアウトボクシングは際立っていて、一目でセンスを感じさせる動きをしていた。

この日も得意のアウトボックスで序盤をリード。中盤ややペースを失いかけるも、後半に持ち直し、明確なポイント勝ちを収めた。年齢に見合わぬテクニックと年齢らしい線の細さも同時に感じていたけれど、さすがトーナメントでもまれるうちにたくましさも身に着けていたようで、その成長ぶりに目を見張った。

続くフェザー級は経緯はわからないが、木内信弥(シシド)の不戦勝。

この時点ですべてが判定勝負。すでに30Rを見つめているので、さすがに疲れてきた。「まだ中盤なんだよな~。新人王戦ってやっぱり長いよな~」と思っていたのだが…。

次の試合で、そんな疲れも一瞬で吹き飛ぶことになる。

90年代中盤から後半にかけての日本ボクシング界の主役のひとり。説明不要の人気者、畑山隆則の登場である。

90年代ボクシング界の寵児、畑山隆則。衝撃の初回KO劇。

当時の畑山は弱冠18歳。丸山くんとは同年齢だが学年でいうとひとつ下。今大会の最年少選手だった。同年代の多くはまだ高校に通っている年齢だ。

この試合はユーチューブにも動画がある。振り返ってみたい。

畑山の相手は坂本和則(角海老宝石)、坂本はこの時23歳。戦績は6勝1分。畑山は5勝(3KO)。無敗同士の対戦である。開始ゴングとともにジャブを飛ばし積極的に打って出たのは坂本。オープニング·ヒットも坂本の右ボディブローだ。その後も坂本はパンチをつなげるが、畑山は余裕をもってそれを受け止めると、迫力のある左ボディーから左フックを返してみせる。

坂本がなおも打ちにかかると、畑山は頭をつけるほどの距離につめインファイトの構え。しかし、坂本がうまくアッパー、フックをまとめてヒットさせると、畑山は距離をいったん中間距離に戻す。そして、仕切り直すように自ら距離を詰めると、左フックから右ストレート。そのコンパクトで鋭いパンチはすでにこの若いボクサーが只者でないことを示している。

坂本は臆せず、ジャブを突きワンツー、距離が詰まればボディへとパンチをふるう。畑山はしかし、開始直後のように下がらず、頭をつけてボディから右フックを叩きつけて坂本をたじろがせる。畑山はしかしここは深追いせずに自ら離れて中間距離に戻す。

下がる畑山になおも追いすがる坂本だが、早くもパンチのスピード、威力が落ちているようにみえる。畑山は易々ともう一度インに入ると、右ストレート、左フック、左ボディーと見事なスピードのコンビネーションを決める。そして続けて迫力ある右へとつなげて坂本を追い立てる。

しかし、ここでも畑山は強引に出ずにいったん引いてみせる。坂本はジャブを突きながら前進。しかし、右ストレートにつなげようというところで、畑山の右ストレートがカウンターで差し込まれる。これは完全に誘いだったのだ。手ごたえを感じたのか、畑山はここで一気に前へ出る。頭をつけるような姿勢から左右のフックから強烈な左ボディへとつなげていく。

坂本も負けじとパンチを返すが、畑山のパンチの方がコンパクトかつ回転力に優れている。坂本の反撃を断ち切るかのように矢継ぎ早にコンビネーションを繰り出すと、次々に細かな連打が坂本の顔面に吸い込まれていく。たまらず後退する坂本。畑山は追撃の手を緩めず、左右のストレートで追い立てる。右ストレートで坂本のマウスピースが派手に吹き飛んでいく。

残り30秒を切ったところで、幾度目かの右ストレートの直撃で、坂本がついにダウン。立ち上がった坂本の足取りはふらふらとおぼつかないようにも見えるが、なんと森田レフリーは続行を命じる。しかし、なすすべなく畑山の連打を浴び、ふらついたところでストップがかかる。初回終了間際だった。

たった3分足らずの戦い。しかし、畑山がその大器ぶりを示すには十分な時間だった。客席の僕も一気に目が覚めた。いわゆる「モノが違う」というのはこういうことか。そんな思いだった。新人王の決勝まで駒を進めるボクサーは当然みな一定以上の才能を感じさせるが、それにしてもそんな彼らと比べても、畑山が見せた煌めきは群を抜いていた。

加えて18歳の若さ、端正かつどこか愛嬌のあるルックス、スター性も十分。会場は「すごいのが出てきたな」という興奮に包まれているようだった。

早くも畑山の次の試合が楽しみになったが、次戦の全日本新人王決定戦は残念ながら大阪で開催されるので僕には観られそうもない。「間違いなく新人王は獲るだろうから、機会はきっとこれからいくらだってある」と思い直した。

次々に登場するワタナベ勢。しかし、意外な結果が…。

さて、続くライト級も僕にとっては興味深い対戦だ。以前に通っていたワタナベジムの梅田敏治と当時通っていたビクトリージムの望月宏明。どちらの選手の練習も観たことがある。ふたりとも一発で倒すタイプではないが、技量は新人離れしたものがあった。特に、梅田のボクシングIQの高さというか試合巧者ぶりは、練習からも伺えた。

結果は梅田の2-0の判定勝ち。しかし、実際には僅差判定以上の差があるように僕には見えた。梅田の打たせずに打つ技術は、この試合でも冴えわたっていた。その後、梅田はなぜか活動をフェードアウト。どんな事情があったかは知る由もないが、もしかれが活動を継続させていれば、90年代のライト級の流れはずいぶん変わっていたのではないかとさえ思う。

続く、ライトウェルター、ウェルターでもワタナベの選手が登場した。ライトウェルターでは遠山健司が加藤祐二(ヨネクラ)、そしてウェルターでは越川雅也が永瀬輝男(ヨネクラ)と、期せずしてそれぞれワタナベvsヨネクラの構図となった。

遠山は手数と前進が持ち味。際立った武器はないがスタミナとガッツで相手を押し切るボクシング。この日も持ち味を十分に生かして判定勝ちを収めた。

ワタナベ四人衆では、最も新人王に近いと思っていたのは次に登場した越川雅也。ウェルターにしては短躯。しかし、頭の振りと内に入ってのフックはタイソンばりで、コスチュームも黒一色のトランクスと黒のシューズでこちらもモロにタイソン風味。

ジムでは彼と同じサンドバッグを叩くこともしばしばあり、ジムを離れた後も思い入れを持って見つめていた選手だった。

しかし、そんな僕の思いとは裏腹にこの日の越川の出来はいまひとつ。いつものスピードとパワーが感じられず、永瀬輝男(ヨネクラ)の攻撃の方が逆にパワフルに思われるほど。総合力の高さを感じさせる永瀬は、その後もぴりっとしない越川を終始コントロール。ほぼワンサイドの判定勝ちをおさめた。

正直、ワタナベ四人衆では越川が一番新人王に近いと思っていたのだが、結局、彼のみが東日本新人王を逃すという結果になってしまった。そして、この後も、永瀬は越川の前に大きな壁として立ちはだかり続けることになる…。

この日の最後、ミドル級も制したのはヨネクラ勢。髪をド派手な矢印型に染めた玉置健治が、髪型に劣らぬド派手なボクシングで川島朝輝(キクチ)をわずか46秒で沈めた。これでヨネクラ勢はこの大会3人目(うち一人は相模原ヨネクラ所属)の東日本新人王獲得となった。

この日行われた10試合中、KO決着は2試合のみ、この二試合の勝者がそれぞれ最優秀選手(畑山)と技能賞(玉置)に選出された。わずか46秒で終わった玉置の技能賞はいささか疑問が残るが(松倉の強打を封じた清田がふさわしかったのでは。清田はしかし敢闘賞を受賞)、畑山の最優秀賞は誰もが納得したはずだ。

そしてボクマガの記事を読み直すと、この年の東日本新人王戦にはなんと300名以上の参加があったとの記載があり驚いた。まさに平成ボクシングブームの真っただ中。そこにすい星のごとく現れた18歳の俊英が、90年代にさらなる熱狂を呼ぶことになる。

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