ピューマ渡久地vsヘスス・ロハス 1993年4月20日 「後楽園ホールのベランダより~追憶の90年代ボクシング Vol.10」
話題のカードが続いた93年4月。
葛西裕一vsアブラハム・トーレス、川島郭志vs松村謙二と、好カードが続いた93年4月。しかし、この月、ボクシング・ファンの興味を最も集めたのは、この一戦ではなかろうか。元日本フライ級チャンピオン、ピューマ渡久地、2年4か月振りの復帰戦だ。
専門誌もピューマの復帰に沸き立っていた記憶がある。僕がボクシングに再び興味を持ち始めたのは彼の“失踪”後なので、まだ彼の試合を生では観ていなかった。この時点ですでに半ば伝説化していたピューマの試合を、見逃すわけにはいかない。
これだけの話題のカードでありながら、試合はノーテレビ。観るのは、現地で足を運ぶしかない。チケットは完売していた(と思う)。
僕がこの試合のチケットをどうやって手に入れたのか、まったく記憶にない。前売りを買ったか、若干枚数出された当日券を求めて列に並んだか。ともかく僕はチケットをどうにか入手し、開場とともにホールに入った。
チケットは立見席。急いでベランダへと向かった。いつもなら割と余裕があるはずが、すでに多くの観客がすでに陣取っている。ぎゅうぎゅう詰め状態の最前列になんとか場所を確保。横にいた見知らぬ青年が「こっちの戦いも熾烈ですね」と言ってきたのを覚えている。
最高の場所を手に入れたのはよかったが、その代わり、全試合終了までトイレにも行けないハードな環境だ。
期待に満ちた序盤、しかし…。
さて、この日の興行は、他に、8回戦1試合、6回戦1試合、4回戦5試合が行われている。6回戦に、以前の記事でも触れた那川盛雄(ワタナベ)が登場している。記念に受けたプロテストの内容が良く、29歳でプロデビュー。そのまま白星を重ねて、この日5勝目をマークしている。
そして、いよいよメインイベント。場内は主役の登場を控えて、期待と興奮で、異様な熱気に包まれていた記憶がある。
試合はノーテレビだったが、ユーチューブには観客が撮影したと思しき動画が上がっている。これを基に、試合を再構成してみたい。
初回。ゴング直後こそ、「待ってたぞ!」等の声援がいくつも飛ぶが、すぐに場内は静かになる。通路までびっしり埋めた満員の観客が息を殺して、久々にリングに戻ったピューマの動きを見つめている。オープニング・ヒットはピューマのジャブ。場内が沸く。ピューマは、ロハスのジャブを小刻みなヘッドスリップで外し、攻撃の隙をうかがう。その動きは、まさにピューマの名前に相応しいしなやかさだ。しかし、ロハスはピューマの迫力ある攻撃を、柔らかな動きとクリンチでいなす。また、ラウンド後半になるにつれ、ロハスのジャブやコンビネーションが軽めではあるが、徐々にヒットし出している。
2R。ロハスはジャブをつき、引き続き中間距離で戦う構え。ピューマはダックを織り交ぜつつ、右ストレートなどをふるう。ピューマはロハスのジャブのタイミングをつかみつつあり、かわしざまの左フックがクリーンヒット。すかさず連打をまとめる。しかし、ダイナミックではあるが、振りが大きく、正確性にいまひとつ欠けており、ロハスにダメージを与えるには至らない。ラウンド後半は逆に、ロハスのジャブが当たり始める。しかし、全体を通してみるなら、ピューマの方が有効打は多かったようにみえる。
3R。展開はこれまでと変わらず。時折り、単発ながらピューマのパンチがロハスの顔面をとらえ、観客が沸くが、続くパンチはあまり当たっていない。攻勢自体はピューマの方が手数も多く、ポイントをとっているように見える。しかし、ロハスのパンチをたびたび正面からまともに浴びる場面があり、見た目はあまりよくない。それでも前半3ラウンドは、手数と有効打の多さで、ピューマがとったとみてよいのではないだろうか。会場にいた僕も、この時点では、苦しみつつもどこかでピューマがロハスをとらえるものと思っていた。
実力差が明白となった中盤。
4R。ロハスのパンチが多彩さを増してくる。ピューマが飛び込むのに合わせて左ボディ、打ち終わりに右ストレート、左フックなどを合わせる。特に、若干右ガードの位置が低いピューマに、左フックがよく当たっている印象だ。ピューマもよく打ち返すが、相変わらず振りが大きく正確性で劣っている。相打ちも多いが、よりダメージを受けているのはピューマのようだ。ラウンド終盤には、クリーンヒットがいくつか続き、ついにピューマがふらつく場面も。このラウンドは、明確にロハスがおさえた。
5R。積極的に打って出るピューマ。しかし、有効打は少ない。あと半歩、中に入りたいところだが、ロハスはいい距離にさせない。逆に、左ストレートを直撃されると、よろよろとピューマは後ろによろめく。ダメージというより、スタミナが切れかけているようにみえる。途中、久々にピューマの右がヒットし、ロハスの体がゆれる。ピューマがラッシュをしかける。ロハスはインサイドからボディ、アッパーを返す。このラウンド、ピューマは攻勢を印象付けるが、失ったスタミナはピューマの方が大きくも感じる。ゴング近くでは、再三、ロハスに左フックを合わされ、ピューマの頭がはねあがる。この時点で、採点はさておき、僕を含めた観客の多くははっきりとピューマの劣勢を感じている。動画では「ユーリが笑ってるぞ」というヤジが飛んでいるのが聞こえる。
6R。左フックを打つときにアゴがあがるピューマは、打ち終わりに逆にロハスの左フックを相変わらず度々直撃されている。ピューマも左ボディで反撃。力のこもったパンチに見えるが、力みが勝っているのか、いまひとつ効果が薄いようにも感じられる。ラウンド後半、ダメージのためか、それとも疲労か、ピューマの体がパンチを打つ際にかなり流れ始める。スピードも急に落ちた。逆にロハスのペースは心憎いほどに変わらない。しかも命中率はラウンドを追うごとに高くなっている。かなりピューマの動きを見切っているのだ。観客の声も、歓声よりため息まじりの声が多くなってきた。終了間際、連打をまとめられ、ピューマは一瞬棒立ちの状態に。かなり効いている。
終わってみれば、一方的な内容だった。
7R。ダウン寸前までピューマを追い詰めたロハス。しかし、慌てた風もなく、ピューマの出方を動きをじっくり見ている。そして、ピューマの左フックに合わせて、自身の左フックを叩きつけると、これがジャストミート。ピューマの体が大きく泳ぐ。追撃に入るロハス。ここでピューマは開き直ったか、猛烈なラッシュで迎え撃つ。それまでよりも割にコンパクトな連打で、スピードもある。観客が沸きあがる。しかし、ロハスの落ち着いたディフェンスに遮られ、クリーンヒットは少ない。ピューマの連打が収まった後に、今度はロハスがパンチを返していく。スタミナが切れかけているピューマはかわし切れない。集中力も切れかけているのか、ロハスの細かい連打を無防備にもらい、ついに、後方に足をもつれさせながらダウン。なんとか立ち上がるものの、その後もクリーンヒットを何度も許し、ピューマは自身の体を支えるのが精いっぱいという感じだ。この時点で勝負の行方は、観客にほぼほぼ見えているだろう。
8R。ゴング直後、このラウンドでの幕切れを覚悟してか、観客はピューマに大きな声援を送る。しかし、ピューマは軽いパンチにもバランスを崩し、ダメージがありありだ。ロハスは、基本、自分からは攻めず、ピューマのパンチと同時、もしくは打ち終わりにパンチを放つ作戦を徹底している。振りの大きいピューマの隙をつく作は、ここまで完璧に機能している。そんな両者が同時に放ったパンチのひとつが、珍しくピューマの方が先に相手をとらえる。数少ないチャンスの到来に、またもピューマは猛烈なラッシュを開始。先ほどまで、ほぼ死に体にみえていた選手とは思えない、小気味いい連打を見舞う。この闘争本能の爆発が、ピューマをして人気選手にせしめたのだと思う。しかし、日本軽量級屈指のハードヒッターのパンチに、ロハスは恐れを微塵も見せない。プレッシャーに押されることなく、力強いパンチを返していく。パワーでは圧倒的にピューマ優位という下馬評だったが、この場面をみれば、そうとも言えないと思う。ラウンド後半には、またもピューマが急に電池切れしたかのように、ずるずると後ろに下がり、ロハスの連打にさらされる。
9R。ロハスは決めにきているのか、ほぼ初めて自分から前に出て、ピューマにプレッシャーをかける。場内は渡久地コール。ロハスは、ピューマのタメの大きい左フックのタイミングを完全に読み切っていて、コンパクトな自身の左フックを続けてヒット。続けて、パンチを重ねると、それらは吸い込まれるように、ピューマの顔面をとらえる。いつしか渡久地コールは消えていて、代わって観客の悲鳴、ため息が大きく響いている。ついに浴びた致命的なパンチも、やはり左フックだった。力なくコーナーに後退し、ほぼ棒立ち状態となったピューマに、ついにダウンが宣告される。「これで終わりだろう」と思ったが、なんと試合は再開。しかし、戦局がもはや変わるわけもなく、再び連打にさらされるピューマをみて、ようやく試合が止められた。
もし別の相手と復帰戦をやれたなら、どうだったのか?
終わってみれば、ロハスのボクシング技術の冴えばかりが目立つ試合になってしまった。、直線的に前に出て連打をまとめる、いわば力でねじふせる式のピューマのボクシングは、ロハスにはまるで通じなかった。それにしても、と、当時も今も思う。難しい復帰戦になぜロハスのような曲者、難敵を選んだのか?
当時、陣営の弁として「勝敗にはこだわらない」的な発言があったことを記憶している。たとえ負けても、それ以上に得るものがあればよい、ということなのだろう。しかし、振り返って思うに、この試合の負けがその後のピューマのキャリアにとってプラスに働いたとは、とても思えない。
結果論であるのは百も承知だが、当時のピューマに必要だったのは、なによりもまずは白星だったのではないだろうか。
最終的にロハスに決まる前に、いくつかの名前が浮かんでは消えていた。例えば、後にユーリに挑む陳潤彦もその一人だったと思う。もし、陳とだったらどうだったろう。結果は分からないが、ロハスよりははるかにかみ合わせ的にはよかったのではないだろうか。少なくとも、ロハスよりは競った内容になったと思う。
相性として最悪に近い相手と再起戦を行わなければいけなかったことは、ピューマにとっては不運だった。
また、序盤こそピューマの名前通りのしなやかな動きを見せていたものの、わりと早い時点で膝の柔軟性が失われ、腰高の動きが目についた。見た目は派手なわりにピューマのパンチがそれほど効果を上げなかった理由も、このあたりにあるのではないだろうか。復帰に向けて十分なトレーニング積んできたと言われていたが、そのあたりも実際にはどうだったのか、この日の動き、仕上がりをみる限りは、素人目ながら少し疑問を感じたりもする。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?