川島郭志vs崔甲哲 1993年10月5日 葛西裕一vsジェローム・コフィ― 1993年10月7日 「後楽園ホールのベランダより~追憶の90年代ボクシング Vol.16
川島郭志vs崔甲哲
基本的にひとつの記事でひとつの試合を扱ってきたが、今回は2試合を同時に取り上げたい。というのも、わずか3日の間に当時「世界に最も近い」と言われていた2選手が次々に登場し、いずれも「世界前哨戦」を行っていたからだ。
ひとりは当時、日本ジュニア・バンタム級王者の川島郭志。もうひとりは日本ジュニア・フェザー級王者の葛西裕一。どちらも大好きな選手だったので、両日ともに観に行った。
まずは10月5日に行われた川島の試合。生観戦は4月の松村戦以来、半年ぶり。「ようやく川島の華麗なボクシングをまた生で観られる」とうきうきで後楽園ホールへ。
この日の興行は、前座として4回戦が5試合、6回戦、8回戦がそれぞれ1試合組まれていた。
後に日本ウェルター級を制する2人が4回戦で出場している。永瀬輝男(ヨネクラ)は初回で、大曲輝斉(ヨネクラ)は2回でそれぞれ試合を終わらせている。
4回戦では他にアンドレイ文太(ヨネクラ)も出場し、この日は引き分け。彼の出場試合では菅原文太さんの姿が会場でよく見られたのを覚えている。この日来ていたかどうかまでは記憶にないが。
セミでは、この日が2戦目となる元高校王者、保住直孝が登場。こちらも2Rで、ワタナベジムの荒井秀顕を退けている。
そして、いよいよ川島の登場だ。相手の崔は1階級下の韓国フライ級2位。戦績は16勝(8KO )5敗。プロでの試合数だけなら川島の15戦を上回っている。
ここからはユーチューブの動画と当時の記憶を交えて試合を再構成したい。
初回、まず崔が積極的に前に出る。川島は距離を取りながら、崔の打ち終わりにスピーディーな左ストレートや右フックを合わせに行く。スピード差はありありだ。生観戦した当時は川島の圧勝としか印象になかったが、動画で観返すと、崔の勇敢さも印象的だ。パワー、スピード、テクニック、すべての面で上回られながら、それでも臆することなく前に出ていく。ブロックしながら、距離が詰まれば連打を叩きつけようという構えで、クリーンヒットはほとんどないが、距離は合っているようにみえる。「打たれながらもよく見ている。不気味な選手」というのは、この日解説席に座っている大橋秀行の弁。たしかに、そんな雰囲気もある。
2回に入ると、崔の直線的な動きをいなすように、川島はサイドステップを多用し、サイドからの攻撃をみせる。上体の動きも柔らかく、崔に的を絞らせない。崔の恐れのない突進は若干の怖さを感じさせるものの、そのパンチのスピード、キレは川島のそれと比すればはるかに落ちる。不用意な一発さえ浴びなければ川島の勝利は動かないだろう。
となればあとは、川島がいつどんな風に相手をマットに沈めるのかに、興味は移ってくる。2R途中に川島が少しギアを上げた。ボディから顔面へと返すコンビネーションやジャブというより右ストレートという感じの強烈なリードブローが次々に崔の体に吸い込まれるようにヒットする。
3R以降も川島は崔の攻撃をいなしながら、時にトリッキーなサイドステップをみせたり、速いフックをいきなり飛ばしたりして、観客の驚きの声を誘う。右にスタンスを変えて右フックを叩きつける動きも再三見せるが、これは余裕の表れだろう。
4R、川島の右ボディから顔面へ返すコンビネーションがまともにヒット。タフな崔の動きが一瞬止まる。その後も川島の速い上下の打ち分けに、崔はまったく対応できない。川島がその気ならば、いつでも試合を終わらせることができそうな雰囲気だ。
試合が終わったのは次の5R。開始30秒、この日幾度となく見せていた右ボディから右フックのコンビネーションから左ストレートにつなげると、この3連打がものの見事にヒット。崔は弾かれるように後方へたたらを踏む。川島がすかさず詰めて連打を振るうと、崔はしゃがみこむようにダウン。崔はすぐに立ち上がり試合は再開されるが、川島は試合を決めるべく、至近距離からコンビネーションで畳みかける。しかし、崔も同時にパンチを返す。一瞬きわどいタイミングでパンチが交錯し、解説の大橋がおもわず「あっ!」と声を上げている。これまで初回KO負けを含め、伏兵に星を落とし遠回りしてきた川島だけに、打ち合いになると周囲ははらはらするのだろう。
かなり効かされ、追いつめられながら、崔はそれでも前進してくる。すごいガッツだ。しかし、2分ごろ、ボディに右を深々と差し込まれ、崔はこの回二度目のダウン。それでも崔は立ち上がってくるが、さすがにふらふらで余力は残されていそうにない。川島がさらにボディを追撃すると崔の体は丸まり、乱打されたところで試合は終わった。
世界前哨戦とはいえ、力量差はありありで、正直、もう少しひりひりした勝負を観たかった僕には物足りない試合ではあった。それでも5Rにわたって、当時の国内ボクシング界屈指のテクニシャンぶりを見せつける内容には満足した。そして今回、改めて観返すと、遥かな格上に恐れず立ち向かった崔の勇気とガッツに清々しいものを感じた。
葛西裕一vsジェローム·コフィー
その2日後、もう一人のブライテスト・ホープ、葛西裕一の登場だ。同門の八尋史朗の世界初挑戦も約2週間後に迫っていた。名門・帝拳ジムが90年代で最も活気づいていた時期ではなかろうか。
さて、この日は4回戦が3試合、8回戦1試合が前座として組まれていた。
その8回戦、セミファイナルの蓮池光晴(高村)vs前田宏行(角海老宝石)は、その後、国内三階級制覇を果たす前田の出世試合として印象深い。
この時、蓮池はランク1位、対する前田はノーランカー。タイトル挑戦まで目前に迫っている蓮池にとっては、日本王座挑戦にむけての前哨戦くらいの位置づけであったのかもしれない。しかい、失うものがない前田に比して、蓮池の側にはこの試合に対してのモチベーションの作り方は難しいものがあったともいえる。
実際、試合前半は長身でスタイリッシュなボクシングを展開する蓮池が優勢に試合を進めているようにみえた。しかし、前田はここまで11戦8勝(7KO)という蓮池の強打を受けつつも下がることなく前進を続ける。序盤は攻勢をさばいていた蓮池だが中盤にはだんだんと持て余すようになり、時折り前田のパンチにぐらつく場面も。それでもトップコンテンダーの意地か、蓮池はペースを完全には渡さない。要所でパンチをまとめてみせる。結局、試合を制したのは最終回を押さえた前田だった。採点はひとりがドロー、2人が78-77で前田を支持。文字通り、最終回の攻防が明暗を分けた形だ。
前田は一気にランク入りを決め、翌年日本ライト級王座を獲得する。2人のボクサーの運命がこの試合で入れ替わったかのようで、記憶に残る一戦である。
この日は他に、ジョー・メデル記念日本対メキシコ アマ親善試合と銘打って、東京都選抜チームと、ジョー・メデルし氏が率いるメキシコ五輪学校選抜チームの対抗戦も行われた。珍しいプロアマ合同興行だったのだが、残念ながら僕の記憶にはまったく残っていない。もしかして、僕がホールについた頃にはすでに終わっていたのかもしれない。この日の試合開始時間は、いつもより1時間早い午後5時に設定されていた。
さて、葛西vsコフィ―である。ジェローム・コフィ―は元世界ランカーではあるが、この時すでに34歳。戦績は35勝(19KO)9敗1分。大ベテランだ。対する葛西は、17勝(12KO)1分。両者は、葛西の米国遠征時にベガスでスパーリングもしているという。
この試合、とにかくコフィ―が消極的だったという印象が残っている。あらためて動画を観返すと、その通りで、葛西がジャブとワンツーでプレッシャーをかけ、コフィ―は遠い距離を維持しながら、葛西の打ち終わりにジャブまたは右ストレートを返すという展開が延々と続く。
コフィ―はスピードもパワーも感じさせないものの、身のこなしはさすがで、ディフェンスに徹した場合に倒すのは至難の技だろうということはすぐに見て取れた。
葛西の調子自体は良いようで、ジャブもスピードがありワンツーの切れも十分。2Rに入ると積極的に距離を詰めコンビネーションをふるうと、コフィ―は徐々に余裕を失いつつあるようにも思われた。
この調子なら中盤までには決着がつくのでは?と思っていたのだが…。
葛西はジャブ、ワンツーを飛ばしながら、機をみて接近し、上下にコンビネーション・ブローを畳みかける。しかし、コフィ―は時にクリーンヒットを許しながらも追撃は外す。4R以降は葛西のリズムにも慣れてきたようで、葛西の前に出るタイミングを読み、いいようには中に入らせない。葛西は上体を柔らかく動かすコフィ―に対して、ボディを中心に攻めてみせるなど工夫はしているが、追い詰めるまでには至らない。
5Rに入ると、そろそろ焦れ始めた観客から「倒しに行け」「もっとしつこく」「上下散らして」など様々な声が飛び始める。どれももっともな指摘だ。観客もコフィ―が「倒されなければいい」というボクシングをしているのがわかっている。そんな相手をどうKOまで持っていくか。世界が目前に来ている選手だけに、そこをみな見せてほしいのだ。
セコンドについているディアス・トレーナーからは「ワンツー」「イチ二サン」という声が盛んに飛ぶ。もっとコンビネーションを速く、つなげて打てということなのだろう。たしかに、葛西の攻撃はジャブジャブ、一拍おいて右ストレートというのがほとんどで、あとは接近したときにフックを打つ程度。それ以上の追撃もないので、ディフェンスに徹しているコフィ―にすればやりやすいだろう。
試合が後半に入ると、それでも葛西の攻勢がようやく目立ち始める。距離を詰め、ワンツー、上下のコンビネーション。しかし、解説の浜田氏が「リズムがとぎれる」と指摘するように、相手を追い立て、追い詰めるような形には、やはりなかなかならない。流れが感じられないのだ。
8Rには葛西の左フックがヒットし、コフィ―の動きが止まる。葛西はコフィ―をコーナーに詰めて連打をふるい、観客のボルテージもこの試合初めてといってよいほど上がる。しかし、コフィ―は黒人特有の柔らかな上体の動きを駆使して、致命的な一発は許さず、ぬるりとコーナーを抜け出してみせた。
9、10Rは葛西もKOを狙って懸命に攻めたが、やはりあと一歩のところで詰め切れない。のらりくらりとはぐらかすコフィーは、見るからに倒されなければよしというボクシング。しかし、闇雲に打っていけば、右のカウンターを食う恐れは残されている。世界前哨戦でよもやの不覚を取りたくないであろう葛西も、リスクをとった攻め方はしない。
結局、コフィーは最終ラウンドのゴングまで生き延びた。判定は聞くまでもなく葛西。レフリーは3者ともに葛西をフルマークで支持した。形としては葛西の圧勝。しかしその場にいた者としては、なんともフラストレーションのたまる試合だった。
勝つ気のない相手にみすみす試合終了のゴングを聞かせてしまったいう印象の方が強く、勝利のカタルシスは微塵もない。せめて最終ラウンドくらいはリスクをとった攻め方をしてほしかったが、来るべき世界戦こそが重要で、この試合の出来うんぬんはそこまで重要ではないと思いなおした。
ともあれ、わずか3日間で川島、葛西という世界チャンプ以外ではお気に入りのボクサーのツートップの試合を観られたのだから、それだけでも十分だった。
次戦は高確率で二人とも待望の世界戦を迎える。果たしていつ、誰に挑戦するのか。僕はこの時点で世界戦の生観戦は未経験。なぜか「大会場で行われる世界戦はテレビで見ればいい」とかたくなに思っていたからだが、日本タイトルから熱心に追ってきた葛西や川島の世界戦なら会場で観てみたい。世界戦にたどりつのは葛西と川島、どちらが早いだろうか。
来るべき94年に心を馳せながら、会場をあとにした。