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遊ぶこと 表現すること

 子ども時代は誰でも時間のたつのを忘れ夢中になって遊んだことがあるだろう。成長して労働者になると拝金主義の洗礼を受け、お金を使わないと遊べない人が少なからず現れる。成長する=外部情報に敏感になる=周囲の目を気にする=本来の自分を追求しなくなる=資本主義の奴隷になる、という図式だ。

 現代の子どもはスマホに慣れ親しんでいるだろうからnoteのようなメディアに持論を書き込んでもおかしくないのだが、見渡すかぎり高校生以下の年齢層の人は「世に問う」ような書き込み(投稿/表現)はあまりしていないように思える(環境活動家のグレタさんは別格として)。成長し労働者になると自意識が過剰になるのだろうか、「映える」と称して競うように写真を投稿するようになったり自分が所有するオーディオ機器を自慢するような「表現」に走る人が出てくる。キーワードは”他人の目”だ。

 ところで時間のたつのを忘れ夢中になって遊んだ子供時代は”他人の目”を意識していたであろうか?否。他人の目を意識していては真に遊ぶことはできないのである。”他人の目”を気にすることを止め、自由(Liberty)を勝ち取ろうではないか!

(以下引用)

 『その2ーー遊ぶ
表現をする
 アートは上手い下手ではない。ごっこ遊び、自由に歌い絵を描く・・・・・。子どもの頃は毎日のようにやっていたのに、おとなになって役者・歌手・画家を実際にやってみることはほとんどない。社会化されて、だんだん表現しなくなってしまう。
 カネをかけない、巧さを追求しない、もっと身のまわりの友人たちと一緒に表現していくほうが、開放的で面白い。
 実際に歌ってみたり、友だちの歌を聞いてみる。日頃歌わない人の歌を聴くのは楽しいし、その人の味わいこそが重要。昔の祭りだって、全員歌って全員で踊っていたじゃないか。
 人間解放、人生の爆発、路上解放! 自由に表現して、自由に生きよう!

ーーーだめ連の 資本主義よりたのしく生きる
    神長恒一 + ぺぺ長谷川<共著>
                  現代書館』

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