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真夜中の独り言

今日一日家にいた、外に出てもよかったが、とにかく家にいた。

お金を使いたくなかったので概ね目標は達成というところだろう。しかしせっかくな休日を見知った部屋の中で過ごすというのは些か牢獄に投獄された気分であり、精神的にはよろしくないし、真新しい考えも思い浮かばず、腐っていくものである。

何がやろうとして、でも何もできなくて進めた論文500文字程度確かな一歩だ。しかしそれは一万二千という終わりから見たらまだまだ先は遠くどうしようもないものなのである。

今日朝から活動していたら、お昼はしっかりやるべきこととしてやれていたら、夕方昼寝しなかったら、夜ゲームなんてしなかったらと悔やんでしまっている自分がいる。

当たり障りのない当然の反応ではあるが、大体目標も何もないのになぜ悔やむ必要があるのだというのだろうか、まずパソコンに電源を入れて、Wordを開いたそれだけでも普段の自分からしたら褒めてやるべきことなのではないか?

卒論だなんて提出期限が決まっていて、その中で自分で如何様にしてスケジュールを組み立てて完成に走るかそうでしかないのだ、書いていることさえ書いていれば、残り1日で一万字だって書いていい、しかしそうならないようにするためには保険をかけておきたいから他ならない。

地盤を固めるように前もって先に先に行動していた先にギリギリのゴールが拝めるのだ。

「僕はそれを知っている」

だからこそやらないのである。明日の自分にバトンタッチして結局誰がやるのだろうか。

そうして「もっと早くに取り組むべきだった」と後悔をして涙で布団を濡らすのだ。

滑稽で愚かで惨めだ。

だからと言って悲観していては始まらないのである。スタートが遅れたならば、追いつくだけである。完璧に完璧にと計画ばかり練るから手が動かないのである。走りながら軌道修正をしていけばいい、速度が足りないならその分前を見て苦しみながらもがく。

「変えられるのは自分と未来」

僕を支えてくれた人はそう前を向かせてくれた。

いつまでも背中を気にしているから走れないのだ。

さあ、これを書き終えたら風呂に入って続きをしよう。

なぁにまだ1ヶ月あるじゃないか、それにこの1ヶ月で完璧に仕上げは必要ない。一から完璧を作り上げるならそれは達人に等しい。

僕は道半ば歩き始めた餓鬼なのだ。

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