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アメリカ生活

アメリカに到着してドキドキの中初めて
ダイナーに行った。めちゃくちゃ緊張の中、チーズバーガーと
コーラ、ポテトを頼んで運ばれてきたものの大きさに
驚いた。(これがアメリカンサイズ。。。)

ホストブラザーの友達も働いているようで仲良く会話を交わしている
様子を見ながら、緊張と長時間フライトでの疲れもあり、
あまり食べられなかった私はせめて飲み物だけは飲みほそう、、、!
と頑張ってコーラを流し込んだ瞬間に、ホストブラザーの友達が
コップをもっていってしまい新しいコーラが出されてしまった、、、
(そうじゃない・・・!残してしまう・・・)
日本の残さない文化と戦ったがアメリカンサイズに叶うはずもなく
途方にくれていたらお持ち帰り用のバッグをもらえた。

よかった!明日食べ切ろう!
ホストファミリーと家族のこととか
話しをした記憶。
本当にこの時の英語力といったら・・・

分かったことは エジプト人のホストがファザーと
チリ人のホストマザー。
一緒に暮らしているおばあちゃんはママのお母さん。
おばあちゃんはスペイン語しか話せないとのこと。

お兄ちゃんはママの前の夫との子どもで
一緒に暮らしている。

いろんな情報が一気に流れ込み大変なことになっていたけど
無事到着できたことに、なんだか良さそうなホストファミリーたち
に安心することができた。


家に到着すると部屋に案内された。
一人部屋を持ったことがない私は期待を膨らましていたのだが、
ホストシスターと一緒の部屋とのこと。
パステルピンクの柔らかい色の壁紙の部屋だった。

シャワーを浴びて寝ることに。
すると地下から大きな怒鳴り声が聞こえてきた。
パパとお兄ちゃんがどうも揉めている様子。
男の人のなれない怒鳴り声とわからない言語に
ビビり散らかしていると、ママが「気にしないで」と
エジプト人は声が大きいらしい。

頑張って嫌われないようにしなきゃ・・・
と心にまた強く誓った初日だった。

何度かトイレにいっていると
明朝にママが「大丈夫?」とハグしてくれたことが
うれしかった。
本当に愛のある優しい人で、お母さんが心配しているから
電話をしなさいと毎日のように言ってくれた。

留学団体からは「日本とのかかわりは控えなさい。
ホストファミリーが嫌な気持ちになるから」と言われていたので、
忠実にそれを信じていた私はびっくり。むしろ連絡しないことを
怒られる。おかげでたくさん連絡することができ、
ホームシックも乗り越えれたと思う。

パパとママは共働き。
と言ってもママは2時半くらいには帰ってくる。ママの車に乗って
みんなで毎日ショップライトというスーパーに行き買い物についていった。
大きなアメリカのスーパー。牛乳やお肉固まり、たくさんの種類のチーズ。
ローストビーフやチキンのサンドイッチ用のスライス、
着色料のすごいケーキなど日本で見かけることのないものがたくさんあって
それはそれは見るのが楽しかった。時々開封されているものがそっと
棚に戻されている。お会計前のものを開けて飲んでいる人もいる。
世界の違いに驚いた。

お菓子はあまり買わない家で、
あまりアメリカのお菓子について詳しくなることはなかったのだけど、
ごはんの量がすごくて、そのあとのデザートもすごくて
お菓子なくても生きていけるわ・・・と感心してしまった。
スナックはなかったけど、ジュースとアイスは常備されていたな。

留学団体から聞かされていたごはん事情とほんと違いすぎて。
お国柄もあるのだろうけど、冷凍食品が毎日出ることはなかったし
豆やサラダ、ステーキ、味付けされたお米、スープなど
時々焼き魚も食べることができて本当においしかった。
チリ料理が多かったのだけど、時々食べるエジプト料理もすごく
日本食に近いものがあって私は好きだった。
もちろんピザやバーベキュー、たまに冷凍のラビオリだったりもしたことがあった。フルーツも豊富だったし本当に食に困らない生活をしていた。
(お米好きな私はお米を食べることができてすごく嬉しかった!)

デザートは毎日のようにアップルパイやチェリーパイ
蜂蜜のかたまり?も出てきた。真っ黒になるくらいの暖かい紅茶と一緒に。
ちなみにパパとママは糖尿だった。体大丈夫なのかなと何度も思った。


1週間くらい時差ぼけが続いたんだけど
そんな中でもホストブラザーはたくさんの友達に
私を紹介し、いろんな場所に連れて行ってくれた。
最初は良かったものの、話すことができない、
あまりにも普通の見た目な私にまわりも興味はそこまでといった感じで
私もしゃべれないことへの劣等感が強くてしんどくて

だんだん一緒に出掛けることにおっくうになっていった。

がんばってたあの頃の私。



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