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サトイモの茎

 散歩をしていたら、サトイモの茎をもらった。

 サトイモの茎は、干して「芋がら」になる。汁物や煮物の具として、古くから使われてきたので、珍しいものでもない。近畿地方では「ずいき」という名で親しまれてきた食材で、奈良県あたりでは「お揚げさん」(油揚げ) と,いっしょに「炊く」のが定番。
 サトイモは、米や麦より頼りになる。茎も葉も食べられる。どこを食べてもほんのりと甘く、栄養価にしても、ジャガイモより低カロリーで高ミネラル。干して保存しておけば乾物として重宝するのだが、今日は敢えて干さずに食べてみることにした。
 日本代表は近畿の「ずいきとお揚げさん炊いたん」および、新しめの「きくらげとずいきのマリネ」。
 アジア代表は、ネパールの「モシュラ」。サトイモの茎に豆粉をまぶして、豆や玉ねぎとニンニク炒めにする。豆粉をまぶすのは、肉の舌触りに似せるためらしい。
 アフリカ代表は、カメルーンの「ポタポタ」。イモの溶けやすさをうまく利用した、スープカレーみたいな料理で、サトイモの成分がとろみになっている。
 近い未来、飽食の時代を生きてきた人間たちには耐え難いほどの食糧危機が予想されている。原因は、地球温暖化や気候変動だけではない。エネルギー問題も、紛争問題もひっくるめて、すべて人間の行いの結果なのだから、わたしたちは、地球のカウンターアタックを受けて当然だと思う。
 生きるための食糧があることが当然なのではなく、土に種をまき、汗をかきながら育ててやっと収穫するか、そうでなければ、自然界にあるものをありがたくいただいて、生きのびるしかない。
 思い出すのは、ベトナムのクチトンネルだ。そこはベトナム戦争中、ホーチミン率いる北ベトナム軍の作戦会議が行われた地下室で、現在は観光スポットになっている。若い頃訪れたとき、案内人がこんなガイディングをしていた。
「どうして北が勝ったか。士気が高かったからだというけど、わたしはね、北はまずしくて、食べ物も、森の中でさがすのが当たり前だったからだと思うね。北軍とベトコンは、野生のイモとか食べて戦っていた。ヘリコプターから缶詰めなんか降ってこないからね。キャッサバは葉っぱ食べられる。タロイモとかヤムイモとか見つけて掘って食べて生きのびて戦った」
 大戦中インパール作戦から生還することができた日本兵は、よほど運が良かったか、そうでなければジャングルで、植物の可食と不可食を見分けられた人たちだときいた。
 イモ類は、気候の変動や乾燥に耐えうる。米や麦を作ることができなくなったとき、私たちは少しの土に種イモを埋めるか、山に分け入るかもしれない。
 日本は、ヤムイモ(山芋)を食べる唯一の先進国だ。欧米人はネバネバ触感を好まない。サトイモは葉を観賞するための植物になっている。
 サトイモやヤマイモは英語で「Taro」という。それ自体がハワイ語起源で、ハワイの人はTaroを常食しているが白人は食べない。サトイモの原産地はマレー半島または北インドとされていて、マレー人がアフリカに伝え、アフリカ人には好まれたものの、欧州が植民地にした後も、白人の食文化に入りこむことはなかった。
 サトイモに、郷愁を感じるのは、黄色人種だけかもしれない。

 だから。
 これからの地球を担う子どもたちを思うなら、自然界のことを、たくさん体験させてあげるのがいい。山に連れて行き、川を渡り、鳥の声に耳をかたむける時間を与えてあげてほしいと思う。
 土に触れ、草のにおいを感じてほしい。

 そう伝え続けるのが、私の仕事だ、と思っている。



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