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切花のような関係性を求めているかもしれない話

切花___ 蕾や咲きはじめの花を、枝や茎を付けたまま切り取ったもの。
1週間ほどで枯れてしまうけれども、より生命感や美しさを感じられるもの。


私は、切花が好きです。
1週間で枯れる消えもので、長期間管理しなくてもよく、好きなときに花を買いに行けて、また違った花を楽しむことができる。
『毎日水を替えても、いずれかは干からびて早いうちに萎える』というのが初めから分かっていて心構えができる、というのもいい。

しかし最近、『切花が好き』ということに気後れするようになりました。

切花のような…楽しんだらポイッと捨てられるような、長期間保つ必要がなく、責任感も薄く…
そんな都合のいい関係性を、求めているのかもしれない。

ちゃんと人と関われないような、そんな私は、とても惨めで情けなくて、酷くて惨い存在なんだろう。

『切花が好き』は、私のその酷い性質を言い表しているのかもしれないと、最近気づきました。



彼氏/彼女、パートナー、恋愛、付き合う、結婚…
世間一般の、幸せなフレーズたち。

それらを、無意識に毛嫌いしている面があります。
もし私が誰かと付き合うことになったら、結婚することになったら、と考えると、鳥肌が立ちます。

たぶん、母親が、世間はそういうものだからと流されて、恋愛・結婚に至ったのが、毛嫌いしている原因かもしれません。

私は、そもそも生まれてきたくなかった、という思いに苛まれており、でも『世間はそういうものだったから』と言われ、親に責任はないのだと悟りました。

そして、意識することなく、体感的に、私の矛先は『世間』に向かっていました。


ただ、得体の知れないものにどう抗っていいかわからず、私も私で世間に流されながら、複雑な思いを燻らせてしまっているのが現状。


先程のようなフレーズに違和感なく馴染める人、一般的な幸せをちゃんと幸せだと思える人が生きてくれたら、それでいいのに。

異端な私はたぶんいつまで経っても馴染めないだろうから、この世界を毛嫌いしている私なんかただの足枷だから、さっさとこの世から消えてしまいたい。


世界が生きるに値しない場所だとは、思っていないのです。
私以外の人が生きるのには、充分素敵で素晴らしく美しい世界だと思います。
あくまで、私個人が生きていくのには相応しくない、というだけで。



全くもって恋愛の経験がないので、憶測の領域となりますが、
私の傾向として、
関係性にちゃんと名前がついてほしいけれど、付き合う/結婚が確定した瞬間に、その関係性を断ち切りたい衝動に駆られるのではないか、と思っています。

はっきりしたいのに、曖昧にしてしまいたい。
繋がっていたいのに、離れてしまいたい。

しかし、そんな都合のいい関係なんて、きっとどこにもないのでしょう。


恋愛の経験がないのなら、誰かとお付き合いしてみて、『世間一般の幸せ』というものを経験しなければならない、と思っています。

でも、『世間一般の幸せを知るため』という動機の私に付き合っていたら、その相手の貴重な時間を奪ってしまうことに繋がる気がして、
それならばいっそのこと、深い関係性を求めるのはやめよう、という思考になってしまいます。



恋愛・結婚というような、そういう枠に当てはめなくてもいい、と思います。
名前のない関係性で繋がっている人もいると思います。


今の私は、きっとその枠に嵌まらない…嵌りたくないから、
心の奥深くで、密かに、『切花のような関係性を求めているかもしれない』と、掲げていようと思います。



***


世界や社会が成り立つために、流される人も一定数必要かもしれない、という考えを聞いて、ハッとしました。


私も、何も疑問を持たず、ただただ流される人生だったらよかったのになぁ。




『50の質問』を少しずつ答えていってます。

こちらのお題をお借りしています↓
https://50mon.jp/q/513



34.好きな天気

雲のある晴天


35.好きな乗り物

どれも乗り物酔いするので苦手…
窓から景色の見える乗り物が好きかも


36.好きなアプリ

『My日記』
『読書メーター』


37.好きな言葉

たぶん何かしらあるんだろうけれど、パッと出てこないのでパス。


***

では、また、どこかで。

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