無理しなきゃ得られないものもあるよねという話

ちょっと前のこと。推しがツイッター(と言い続ける)で、笑っていないと体がばらばらになってしまいそうだから笑っているのかもしれない、的なことを呟いていた。ちなみに推しはいつもニコニコしている人で、動画に出ている時は本当にいつも笑っているし、おそらくプライベートもそうなのだろうと思う。そんな推しが笑っていないと体がばらばらになりそうなんて呟いたものだから、リプライ(これもずっと言い続ける)には、無理して笑わなくても大丈夫です的なものがたくさん書かれていた。当然ながら私もそう思ったし、それが本人にとって無理であり心身の健康を蝕むものであるならば速攻で止めるべきだとも思う。

のだが、である。私は彼のことを動画やnoteの文章といったものでしか知らないけれど、『無理して笑っている』風にはとても見えなかった。むしろ笑いたいから笑っているように見えた(楽しいから、ではなく。別に楽しいことがないとかでもなくね)。実際のところはどうか分からないけれど、仮に笑いたいから笑っているのであれば、それに対して無理して笑わなくてもいいよというのは果たして正しいのだろうか、と思ってしまった。

誰であっても無理をする必要はないと思う。けれど、無理をしなければ得られないものも確実にある。達成感というのは何もしないで得られることは絶対にないし、苦労の末に得られたものは価値が大きいと感じるだろう。
故野村克也監督が言っておられた。【「楽しむ」という言葉の本当の意味とは、悩んだり苦しんだりすること】と。『楽しい』と『楽』は違う。楽しむためには苦しさも必要となってくるのだ。
そして私が見る限りではあるが、推しは達成感が欲しい人に見えた。棚からぼたもちよりも苦労して得たぼたもちに価値を見出すタイプに見えた。そんな人に対して「無理しなくていい」というのは果たして優しさなのだろうか。

別に私は無理しないでとリプライを送った人に対してどうこう言いたいわけではない。推しが求めていたのはそういう言葉かもしれないと思うし、心身の健康を脅かすような無理なら即刻止めるべきだとも思う。無理をするというのも限度がある。倒れるまでやるのは絶対に違うし、オーバーワークになりそうな人に無理をするなと言うのは正しいとも思う。
なのだけど、無理をすることが悪とも思わない。何度も言うけれど無理をしなければ得られないものもあるから。その辺りは加減が難しいのだけど。


超個人的なことを言ってしまえば私は無理をする推しが好きだと思う。もちろん健康第一だし倒れるようなことは今後もあって欲しくはないけれど、倒れない程度に無理をする姿が見たいと思ってしまう。あくまで個人的な願望だし我がままだというのは分かっているけれど。

私は基本がサンリオキャラクターのぐでたまなので、隙あらばぐでぐでしていたい人間である。なので頑張る推しを見て私も頑張んなきゃなー、と思ったりする。ので推しには頑張る姿を見せて欲しい。とここまで書いて思うけど身勝手過ぎるな!知ってる!