旧統一教会に片足突っ込んだ時の話 後編

気付いたら前回の記事から1ヶ月経っていた。書こうと思いつつ暑さにやられていた。昔から暑いのが本当に苦手だったので、ここ最近の毎年猛暑ぶりが本当にきつい。夏だけでも引きこもりたい、と思いながら毎日仕事に出ている。私の仕事はリモートでは出来ないのでコロナ真っ只中でも出社していたのだけど、今またコロナが11波とかでこの暑いのにマスクを外せない。コロナも空気を読んで欲しい。


さて、前回の続き。

輪廻転生があるかないかで真っ二つとなった私とAさん達。
それからしばらくして、なぜそんな話になったのかは忘れたが、私はAさんから親について訊かれた。質問内容はあまり覚えていないが、かなり細かいことまで訊かれ、私は「分かりません」「知りません」を連発した。
するとAさんは、親のことを知らないなんてあなたは親を好きではない、それはつまり親があなたを愛していないからあなたは愛を知らないのだ、的なことを言ってきた。
正直今これを書いていても、何言ってんの?、となる。まだ百歩譲って私が親のことを知らないから親のことが好きではない、は筋が通ってなくもないというか、私は親のことは好きだけれど、あまり分かっていないという意味でそういう判断を下す人もいるだろうとは思う。が、親が私を好きかどうかがなぜ判断出来るのか。論理めちゃくちゃじゃないか、と思う。
なのだが、それ以来Aさんやその周囲の間では私のことは【親に愛されなかった可哀想な人】になった。そこにいた全員にそう言われた。不快とかの前に、正直、意味が分からなかった。
これが仮に、「あなたは親に愛されなくて可哀想だけれど、ここにいたらあなたを愛してくれる人も出来るし愛を知れるから」とか言われたら(別にそれを信じはしないが)、ああそういう魂胆ね、と納得は出来るのだけど、可哀想、で終わっていたので意味が全く分からなかった。しかもここでは輪廻転生もないから死んだら終わりなわけで、私はここでは愛を知らないまま死んで終了らしい。それが事実ならば生きる意味って何? もっと言えばここのセミナーに通う意味すら無くないか? なんでここの人達はこんな矛盾したことばかり言ってくるのだろう。あまりの意味の分からならさに気になりすぎて後半はずっと通っていたところがある。先に結論を言ってしまえば結局最後まで分からなかったけれど。

親の名誉のために少しばかり書いておくが、(その当時はそんな言葉はなかったけれど)私の親はいわゆる毒親ではなかった。甘やかされもしなかったが放任されたわけでもなく、別にめちゃくちゃ立派な親かと言ったらそういうわけでもないけれど、子供をひとりの人間として尊重してくれたなとは思う。愛情が薄い(ように見える)のは血筋ではあったけれど。

ただ、私の親が私を愛していたかどうかはこの際関係ない。
私は、私のことを可哀想と勝手に決めつけるAさんやその周囲の人間に対して軽蔑の気持ちが芽生えていた。私が可哀想かどうかは私が決める。私の感情は、私が置かれた状況を私がどう思うかは私が決める。可哀想かどうかを赤の他人のお前が決めるな、と思っていた。言ったところで聞き入れる人達ではないのは分かっていたから言わなかったが。


セミナーに入ってから半年後くらい。この頃も私の状況は特に変わってはいなかった。相変わらず学校にもバイトにも馴染めず孤独な日々。なのだが、私を可哀想と決めつけ下に見るこんな人達といるくらいなら、独りの方がマシじゃないかと思い始めた頃、合宿があると言われた。
今なら確実に断るけれどその当時は断りきれなくて参加した。合宿は色々なところから来た人達が集まっていて、当然ながら皆初めましてだったのだけど、「初めまして。聞いたわよー親に愛されなかった可哀想な人なんでしょ」と何人にも言われた。今書いていても信じられないなと思うがマジである。さすがにここまで来ると私も、なんでそんなことを言うのか知りたいという興味よりも恐怖心の方が勝って来ていた。

そしてその合宿の最終日。会議室のような一室に集められた私達に一言。

「この団体は統一教会です」

この時私が一番に思ったのが、嘘だったんじゃん! だった。統一教会がどうこうというよりは、最初に宗教かと訊いたら「違う」とはっきり言ったのに結局宗教だったのか、と。宗教云々よりも嘘をつかれたことが一番大きかった。
(まあ、とはいっても最初に統一教会だと言われたらそもそも通っていないけれど)
私は次の予約をバックレた。
しつこく何か言われたらどうしようかと思ったのだが、向こうから特に連絡が来ることもなく、拍子抜けするくらいあっさり辞められたのだった。



もう数十年前の話なので思い出すことはそうそうないのだけれど、なぜあの時Aさん達が私を「可哀想な人」扱いしたのかがずっと分からなかった。こちらを嫌な気持ちにさせて辞めさせたいのか? とまで当時は思っていたし、だったらそれはそれで何で?、とも。私が通っていたのはぶっちゃけ、「次回は○日か□日が空いてます」と言われたからであって、次回の予定を相手方が決めなかったら私は行っていなかった(少なくとも後半は)。辞めさせたい割に来させようとするのはなぜなのか。その意味を知りたくて通っていたし結局分からなかった。
のだが、先日Twitter(と言い続ける)で、【新興宗教などは、わざとめちゃくちゃなことを言って大勢の人を切り捨てることによって、そこに残った人をカモにする(意訳)】というツイート(と言い続ける)を見て、それか! となった。あれはふるいにかけていたのか、と今更気付いた。まさかこの歳になって答えを知れるとは思わなかった。


そんな感じで半年くらい、当時は知らなかったけれど旧統一教会に片足突っ込んでいたのだった。もしあの時辞めていなかったら今どうなっていたんだろうと思うと恐ろしい。多分あの時が辞めるギリギリのタイミングだったのかなという気もするので。