推し(アラサー男性)がゴスロリを着た

タイトルを繰り返すのだけど、推し(アラサー男性)がゴスロリを着た。自撮りがTwitter(と頑なに呼ぶからね!)に上がったのを見た時のことは鮮明に覚えている。午前0時、そろそろ寝るかと思った時に突如上がった写真を見た瞬間叫んだ(隣の部屋の人すみません…いや本当に…)。あまりにも似合い過ぎていて。服を買ったという話はその少し前に呟いていたので、いつか身に纏った写真を上げてくれるかなー、上げるとしたらメイクとかもきっとがっつり決めてくるんだろうなーとかぼんやり思っていたのだけど、まさにその通り、というか予想以上の素晴らしさで眠気も一気に吹き飛んだ。ちなみに今その自撮り写真は私のスマホの待ち受けに(勝手に)しているので、スマホを見る度に、『うわ美人がいる!』と誇張抜きで思うので正直心臓に悪い(笑)。


さて。
私は昭和生まれの人間なので、男性である推しが主に女性をターゲットとしている(と思われる)洋服を身に纏っていることに対して感慨を覚えてしまった。というのも、私の子供時代というのは男性が女性の格好をすれば「オカマ」と揶揄されていたから。
今の時代におけるオカマはもう少し違う意味を持つようだけれど、当時は(少なくとも私の周囲は)オカマ=男性が女性の格好をしている人、であったし、同時にオカマ=気持ち悪い、でもあった。確かにテレビに出ているオカマと呼ばれる人達は短髪に青髭でそこに真っ赤なルージュ、服も無理矢理袖を通したワンピース、といったような、滑稽にも見える姿ではあった。
のだが、私はなぜオカマと呼ばれる人達が嘲笑されるのか本当に分からなかった。というか、なぜ男性が女性に寄った格好をすることが嘲笑の対象になるのか。女性が男性の格好をするのは宝塚歌劇団に代表されるようにカッコ良さのあらわれなのに。私はそこにどうしても、【女より男の方が優れているのにわざわざ下等生物の真似をする】という、男尊女卑の思想が見えるのがなんとも嫌だった。だって女がズボンを履いても何も言われないのに男がスカートを履くと笑われるんだよおかしくない?、と子供の頃から思っていた(が、同時に仕方のないことなのだろうなとも思っていた)。


そんな時代を生きてきたので、推しがゴスロリ服を買って着たというのが本当に嬉しかったし、いい時代になったね、とも思った。実際はまだまだ色々色々色々色々あるのだろうけれど、少なくとも昭和の時代よりはずっとずっと好きなものが着れるよ皆!と思っている。
そして私も推しに触発されたので、前から欲しかった服を買った。ちいかわがどデカくプリントされたTシャツだ。繰り返すが私は昭和生まれである。でも私も着たいものを着るんだ!となって選んだのが真っ黄色の生地にどデカくちいかわが描かれたTシャツだった。届いたので着たら自分でも驚くくらいに気持ちが上がった。正直私はそこまで服に興味がないので、何を着てもそこまでなあ、と思っていたのだけどそりゃあもうめっちゃくちゃ上がった。ありがとうちいかわ。ありがとう志賀さん(推し)。