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年賀状が支えてくれた年月に今こそ言える「ありがとう」‼️

新年明けましておめでとうございます🎍
今年もよろしくお願いいたします🐍

今年も何通も年賀状をいただきました。
年賀状じまいをする方が増え、私自身も、毎年、もうおしまいにしてもいいのかな?と思いながら、そう踏み切れずにいます。でも、今年届いた心のこもった年賀状をありがたく読むうちに、ああ、まだおしまいにしなくて良かったなあと思いました。
一人一人が、優しい気持ちで書いてくださった言葉がやっぱりダイレクトに心を温めてくれました。

思い返せば、私は子供の頃からずっとずっと、毎年の年賀状に支えられてやってきました。

今も、高校時代の恩師や、大学の寮でお世話になった方々や、OLの頃の先輩の方々、そして、遠くに住む友人達からの年賀状の言葉には、感謝の気持ちでいっぱいになります。

毎年、年末に年賀状を書く時には、その年にいただいた年賀状を読み返します。そして、まるでそこだけで繋がっている物語のように、今年の言葉を綴っていくのです。
そんなことをしながら、繋がってきた年月でした。その年齢独特の迷いや辛さが、いただいた優しい年賀状の言葉で、癒され、励まされ、そうやって新年を迎えることを重ねて、今日にたどり着いたんだと思います。

年賀状をくださる方々が、一年に一度、私のことを思い出して、温かい言葉を綴ってくださることによって、私は自分を再確認でき、勇気をもらうことができたのでしょう。

私の祖母は、若い頃に小学校の教師をしていたので、私が子供の時分には、とってもたくさんの教え子達からの年賀状を受け取っていました。それは、誇らしげでもあり、何よりとても嬉しそうでした。いつも手元に置いて、何回も読み返していたようでした。そして、その教え子達への年賀状をずいぶん時間をかけて丁寧に書いていた姿も、覚えています。それも楽しそうで、私は強く憧れていました。
そんな祖母が、高齢になり、もう年賀状を書く根気が無くなってしまったから、今年で年賀状を終わりにするんだと言った時、そんな日が来ることがあるんだ‥と、びっくりしました。

だけど、その気持ちも今はわかります。
私と同年代の友人でも、多くの人が年賀状じまいをしています。
もちろん、今は、SNSの普及もあり、年賀状よりも伝わりやすい手段で、新年の挨拶が出来るようになったということもあるでしょう。そして、個人情報を守るために住所を教え合うことが少なくなったことも、年賀状離れの理由なのでしょう。恩師の住所を知っているのが当たり前の時代とは違うのです。

だから、皆さんいつまでも、私に年賀状をくださいね!なんて思ってはいません。
温かい年賀状に、励まされて、ようやく生き延びて来られたことは本当にありがたく、それはそういう時代を生きてきたことのかけがえのない幸運としか言いようがありません。
でも、だからと言って、年賀状じまいのご挨拶をいただくことも、今は寂しいとは思いません。自分自身が今後年賀状をどうするのかもわかりません。

年賀状で、物語を繋がなくても、優しい方に言葉で励ましていただかなくても、いつも、「楽しく頑張ろう」とか、「私、頑張ってるじゃん!」とか、思えるならば、それで十分なんじゃないのかなぁ。
年賀状で言葉を伝えられなくても、毎日の自分の何かが、回り回って、誰かが楽しいことに繋がっていればそれでよし!と、思えたなら、それもそれで十分なんだろうな。

いろいろとっちらからずに、自分を静かに整えていられたら、そんなふうに出来るような気がしています。

あと、何回、年賀状を交わせるのかわからない方々の美しくて優しくてあったかい文字や言葉が、これからも、ずっとずっと大丈夫なんだよと教えてくれました。

そして、これまでのたくさんの目に見える「ありがとう」は、目に見えないところにももっともっといっぱい「ありがとう」があることを物語ってくれています。

穏やかで、優しくて、誰もが小さな幸せを大切に思える平和な一年でありますように。🙏



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