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残り俄
意味ありげに佇むものですら、なにかの前では無力さを噛み締めるしかないように。
私もまた、何も手に入れられないまま喪うことを覚えた終わりゆくものでしかないのに。
例えば私が雑踏や喧騒の中に埋もれていくとして、誰かの掌に拾われるものが私ではなかったことを諦めて笑えるような敬虔さに辿り着く日は来るのだろうかと。
それはそれで自分の意志をなくした傀儡にしか思えないのに、とどのつまり「誰かのために諦めました」ということはご都合的なぶりっ子でしかないのでしょう。
お 自
前 我
思 な に と が
わ ん 見 い い
ず な か せ わ ら
に い る れ な
は よ も る い
い と の と
ら `
れ
ず
に、
そのうち私自身が誰かの幸せのために耐え難くなってくると一途ではいられなくなるんですよね。