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花束で傷口を抉れ

馬鹿なので頭良さそうに見せようと買ったアルジャーノに花束を、の英語版を私はまだ翻訳していない。そんなやつです。

若い子の楽しげな姿を見れば人知れず殺意が湧き、インスタグラムを開けばキラキラ地獄に絞め殺されそうになる。
自分の居場所ではないような。


結局のところ、いい人間になるようにと絶え間なく頭にこびりついた罵詈雑言が消えることはなく誰かの願いに反してそれは私を亡き者にした。
ただあの頃を思うならば、誰に知られることもなく消えゆく私の幼気だった散り際を尊ばずにはいられない、儚げにして儚げならずたった一つ遺る善性であるように。

私自身、仕事で認められることで何かを埋め合わせようとしていたのは確かであった。それは時々誤解を呼んだし、或いは、誰かが老害と呼ぶような人間に認められまいとしては何かを憎むように後手にナイフを隠し持つような面持ちで、そのせいか若い世代に迎合する事もできないのに年寄りの慣習に寛容になりきることも難しかった。
時々横目に誰かが黄色い声援を上げるような見てくれの誰かを私は自分を害するものとして恨まずには居られなかったのだから、それこそが地獄の始まりであったようにも思う。
何かにつけて目的に一途であった自分を顧みれば、人に言えないようなことも自分の大半を捧げてしまった事が誰かの行いをたまらなく自分に対する裏切りであるように思えてならなかった。
誰かの堕落を許せずに怨みながら私は落ちぶれていくのだと思う。

時折私は不幸になるために生まれてきたんじゃないかと思う、それを誤魔化すための自己陶酔が私にはかけがえのない宝物であった。

発揮されることもなく埋没した神童であったような自負心が良い人にも悪い人にも成りきれず燻り続ける塊根であるように、今の時代に迎合することも叶わず、自身の大人になりきれない未熟さを眺めている。
大衆の中でさえ自身の馬鹿さ加減を暴かれまいと優れた自分を誇示しようとせずには居られないのだった。

何かに理解を示すことで自分の優位性を示そうとするような、別に誰かの事を思っているわけではないのだ。
誰かを理解しようとすることで本当に理解されたかったのは自分だったのではないかと思う。
かつて愛されたくて愛したように。


もしいつか何かを得ることが出来たのならばきっとそれで傷口を抉ってみせる。


追記:そのうち短編小説でタイトル使い回しするかもしれない(過去の備忘録からいいフレーズ使うこともあるしなんともいやはやです)

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