女性が性愛の対象だと自認してから女性と性的関係を重ねることで自分に起きていること

私の性自認はノンバイナリーで、割り当てられた性は女性です。そして、性愛の対象は女性です。これらを明確に自覚したのは最近ですが、強く自覚した最後の一押しは女性と体を重ねたことでした(というか、それを確認したくてそういう機会を持った)。

初めて女性とした時、男性とするときに感じていた、なんとなく乗り切れない気持ち、早く終わらないかなと考えてしまう気持ちを全く感じることがなく、抱き合っているだけで気持ち良いという感覚を感じて、自分の性愛の対象が女性なんだと自覚しました。相手の方はそういうサービスをされている方とはいえ、抱き合うだけでの感じ方の違いは、やっぱりそうなんだなと思うに十分な感覚でした。

そして、その後、何回か女性と体を重ねるに至ったわけですが、性的興奮とか快感の程度がどうあれ、男性との行為より精神的にも肉体的にも満たされる感覚を感じています。これは、いいことである反面、もっと女性とふれあいたいという気持ちが大きくなることにつながり、これはちょっと困ったなと感じています。

他の記事でも書きましたが、私には男性のパートナーがいて、彼は私のセクシャリティについて理解をしてくれ、そういうサービスの利用についてOKしてくれています。私自身も家族関係を壊したいとは思っていません。しかし、女性と回数を重ねるごとに、男性との行為がしんどくなってきました(もともとしんどさはあったわけですが、比較できるようになったことでしんどさの解像度が上がったような感じです)。

若いうちに女性とそういう関係になっていたら、そもそも男性と結婚するということもなく、こういう戸惑いはなかったかもしれません。その一方で、女性に告白とかできなかった(友達関係も壊してしまう)状況や、男性と相応の関係を構築してきた状況を経ての今だからこそ、余計に強く感じている部分もあるかもしれません。自分の内面に起きていることの理解はできるものの、じゃあ、過去どうすればどうなっていたのか、今後どうなるのか、についてはよくわからないというのが正直な気持ちです。今後については自分なりに自分にも相手にも向き合いながら考えていくことになるでしょう。

セクシャリティに関わることについては、これまで自覚できていなかった(しっくり来ないという混沌のままでいた)こともあり、向き合い始めてからのことって心の動きも体の受け止め方も新鮮で、自分のことではあるのですが、もうひとりの自分が、これまでなかった自分の受け止め方や感じ方を観察しているような感覚もあります。

足を踏み出さなくてもずっと悶々とし続け、一歩足を踏み出せば、それはそれで次の悶々が出てくるので、この問題は、悶々の中身が変わりながらずっと続くのかもしれませんね。

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