濃いんだか薄いんだかよくわからない人生を歩みながら、我は一体どこへ行くのかと思って生きてきたが、今の自分がここにあるだけなんだろうなぁ
自分探しの旅をずっと続けてきた気がするのだ。
しかし、自分を探してきたというのに、一向に私は、自分に出会えなかったのだ。
おかしなものだ。
あんなに必死に探し続けてきたというのに。
父の四十九日を迎えたばかりだから、そんなことを思ったのだろうか?
父が旅立って、しばらくは、私は悲しみの中に包まれているような感覚で生きていた。
しかし、割と早い時点でそれが抜けてきた。
父は確実に、母と私と共にある、そんな気がするのだ。
母とも同じ会話をする。
毒親気質の母とは、相変わらずたまに派手に喧嘩をするが、どちらかともなく折れるように、少しずつなってきたような気がする。
父がそうさせているのかもしれない。
なんでも都合良く考えた方がいいだろう。
今日はこれから、脳腫瘍の手術を終えた主人に最後の面会に行ってくる。
カテーテル痕に血栓ができた為、リハビリが遅れを取ったが、抜糸も済み、リハビリも順調なので、今週末には退院の目途が立った。
手術後、すぐに面会をさせてくれたが、ベッドに横たわる主人を見た時、涙がこぼれた。
無事で良かったとの思いと共に、この体で長いこと働いてきてくれたのだと思ったら、かけがえのない存在なのだと改めて思った。
とはいえ、人間、喉元過ぎれば熱さを忘れる生き物なので、きっと私はそのうち、平然と、母や主人の愚痴をぶつぶつ、ここでつぶやいているのだろう。
まあ、それでもいいか、それが生きている証とも言えるのだから。
結局、私のこれまでの自分探しの旅は何だったのかなぁ?
自分なんて探さなくても、今ここに毎日あるというのに。
ただそれだけのことなのに、何を小難しく考えて生きてきたのだろうか?
小難しく考えることこそが人生だと、少しばかり賢く見える人生だと、私は思っていたのかもしれない。
劣等感の塊のように生きてきたので、背伸びをして、賢く見えるように、バカにされないように、無理をして、無理をして、そんな生き方が自分で自分の首を絞めてきたのだろう。
迷いとは、おそらくは、自分が勝手に作り出した産物に過ぎないのだ。
今の私が迷いがないわけではない、迷いだらけだ。
しかし、迷いを否定するから、余計に迷いが悪化の一途を辿るのだ。
迷いを楽しもうとまでは言わないが、迷いもまた人生、むしろ、迷いこそが人生とも言える。
頭は柔らかくした方がいい。
さて、今日も生きるとしよう。