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言葉だけの交流の中にも感じる温もり

私の書いた言葉(記事)に心を寄せて下さる、皆さん、本当にありがとう。
今年は、たくさんの辛いことがあった。
中でも、父の死は、辛すぎた。
書きながら、久々に嗚咽してしまう私がいる。

父は、最後まで、最期まで、父だった。
親としての背中を見せてくれていた。
私には、それが、それが、たまらなく切なく、愛おしく、感謝しかないのである。

父を看取り、私は気難しい母との時間が増えた。
いつも間にいてくれた父がいない。
ゆえに衝突を起こすこともある。
母を憎たらしく思うことも少なからずある。

しかし、母を家に送っていって、玄関を一人で入っていく母の背中を見ると、この人を一人にしてはいけないと思う自分がいる。
寂しい思いをさせてはいけないと思う自分がいる。
きっと、未来の自分の姿と重なるからではなかろうか?

年齢順に寿命を迎えるとするならば、一回り離れている主人の方が先に命を終えることだろう。
私が一人、取り残されることになる。
それを思うと、玄関に一人で入っていく母の背中に、なんともいえない感覚を覚える。

母は気難しい性格の為、父と一緒に営んでいた事業を畳んでからは、人付き合いをほとんど断ってしまった。
友達と言える人がほとんどいないに等しい。
だから、母の支えは父と私だけだった。
父がいなくなった今、母は私しか頼りがない。

私も訳あって、現実での友人は数える程度しかいない。
だが、ここnoteでは、言葉だけの交流にも関わらず、温もりを感じさせてくれる言葉を日々、頂いている。
私は、大げさではなくて、皆さんの温もりを支えに、これまで自身を保つことができたと言っても過言ではない。

現実だから、ネットだから、そんなことは関係ない。
人と人は、きっと、温もりを感じ合うことができると思うのだ。
綺麗ごとと揶揄する人もいるだろう。
しかし、綺麗ごとって、別に悪いことではないよね。
人は、人を求める。
人は、温もりを求める。
それで、いいじゃないか、と私は思うのだ。

一人も楽しいけど、ずっと一人はやっぱり寂しい。
生き続ける限り、私はきっと、人を求め続けるだろう。


さて、今日も生きるとしよう、って、もう朝だよ。(笑)




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