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『夜行』森見登美彦 読後妄想



『夜行』感想

 『夜行』を手に取ったのはタイトルがきっかけでした。
 ここ数年ずっとはまってるヨルシカの「夜行」と同じ題のこの本を本屋さんで見つけた瞬間に衝動買いしていました。

 裏の説明文を見て、と
「怪談×青春×ファンタジーかぁ…怪談苦手なんだよなぁ…」
でもせっかく買ったし読んでみるか、と思い読み始めました。

 読了後は爽快感とともに得体のしれない不気味な後味が残る不思議な気分になり、すぐに二周しました。二周目は一周目と違ったものが見えてきて、「これってこういうことだったのか!」という発見が多くありました。
 あと情景の描写がすごい。まるで自分がその世界にいるかのような生々しい描写が不気味さを一層引き立てていました。見たことのない景色なのに鮮明に思い起こせる、こんな文章どうやったら書けるのかとただただ驚嘆するばかりでした。

 登場人物に、そしてこの本全体に影を落とす長谷川さんと連作画「夜行」、えたいのしれない不吉な塊に覆われた世界を堪能いたしました。

 それでは以下読後の感想、考察、妄言に入ります。
 ネタバレを含むのでまだお読みでない場合は先にお読みすることを強くお勧めいたします。二周してからまた見に来てください。



「夜行」とは

 「夜行」とは何かについて作中で語られるのは三度ある。一度目は大橋が柳画廊の主人と会話するシーン。二度目は田辺が京都で岸田と会話したシーン。そして三度目は佐伯が岸田の絵について話すシーンである。

「夜行列車の夜行か、あるいは百鬼夜行の夜行かもしれません」

16頁

「春風の花を散らすと見る夢は━━━」
「そりゃ、なんだ」
佐伯は言ったが、岸田はそのまま続けた。
「さめても胸の騒ぐなりけり」
(中略)
「わかるかい」と岸田は言った。「これが『夜行』だよ」

218頁

「どうして夜行というタイトルなのかわかるかい。百鬼夜行の『夜行』だよ。岸田の描いた女はみんな鬼なのさ。だから顔がない。こいつらは岸田の魔境で生まれた怪物で、最後には絵から抜け出して岸田を喰っちまったんだ。」

229-230頁

百鬼夜行の「夜行」

 この『夜行』世界は、(明言されていないが)岸田が長谷川さんを慕うあまり殺害した火祭りの夜を軸に広がっていると考えられる。そしてゴーストの絵、この話をつなぎ合わせると、岸田は絵の中の長谷川さんに会うために「夜行」を描き続け、最後には鬼に喰われてしまった、という仮説が成り立つ。
 また、「春風の~」の句は高貴な女性との一時の情事を忘れることのできなかった西行が、夢の中で再び逢瀬を遂げたことを詠んだ句とされている。意味としては「春風が花を散らすような夢を見たら、目覚めた後まで胸のざわめきがやむことなく続いている」といったところだろうか。これも先ほどの説を補強するように思える。また、皆が旅先で観測した不思議な現象にも鬼がかかわっているとすれば理解できる部分もあるかもしれない。

 この本を読んだとき、一周目はこのように考えた。しかし、二度目に読み終わったとき、もう少し物語をふわっと捉えてもいいのかもしれないと思うようになった。

ぜんぶ気のせい?

 まず、「夜行」は百鬼夜行の夜行ではないと考える。どこまでも続く夜、言い換えれば魔境の中で右も左もわからず何となく不安で不穏な世界。「春風の~」の句は「春風が花を散らすような不穏な夢を見たら起きてもまだ不安が残る」という意味だと捉える。さらに、岸田の死因はただの疲労、睡眠不足。旅先での不思議な現象は不穏な空気の中感じた気のせい、若しくは「曙光」世界。岸田本人は絵の中に長谷川さんを見たかもしれないが、そこに鬼はいなかった。「曙光」世界の存在は疑う余地のない部分かと考えるが、全部が気のせいとするのはだいぶ無理がありそう…

ただ、このように考えた後は、とても怪談を読んでいたとは思えないような清々しい爽快感を味わうことができた。いろいろな考察が楽しめるのもこの本のすごい部分だと思う。

夜行10の疑問

 出版元の小学館でこのようなサイトを見つけたので少し考えてみることにした。

1.ホテルマンの妻が二階に籠るようになったのはなぜか?

 中井さんからの視点で見れば、ホテルマンは嘘をついており、部屋の二階に閉じ込めている(若しくはすでに殺害している)と考えられる。しかし、ホテルマンの発言が嘘とは思えない部分もある。例えば、以下のシーン。

「そのとき夜行列車が来たんですよ」
ホテルマンがそう言ったとき、僕の背筋を冷たいものが走った。
「踏切の手前に立って妻は振り返りました。見たこともないほど冷たい顔をしていた。あんな顔は見たことがない。あれは人間の顔じゃない」
ホテルマンは汗を拭った。
「そうして妻は線路に飛び込んだんです」

64-65頁

 嘘をつくのであればこのような話にする必要はないのではないかと思う。
 ということであれば、ホテルマンは(少なくともホテルマン視点では)本当のことを話していると仮定する。するとホテルマンに起きたことは中井さんに起きたこととほとんど同じであると言える。なので、ホテルマンの変身の訳は中井さんの妻が変身した理由と同じではないかと思う。

2.中井の妻が「変身」したのはなぜか?

 ではなぜ中井さんの妻は変身したのか。原因はわからないが、きっかけは上で引用している夜行列車だと考えられる。中井さんの妻はこの列車に乗っており、おそらくホテルマンの妻であろう女性も目撃している。ここで、いわば鬼が憑いたような状態になったと推測される。
 それとは別に、すべてを気のせいとして済ませるのであれば、妻が変身したように思えただけで、実際には何も変わっていないとも考えられる。妻が尾道へ行き、それを追った中井さんはどこかのタイミングで曙光世界に迷い込み、そして戻ってきた。無理があるともいえるが考察は自由だから…

3.死相は確かに浮かんでいた。誰と誰に?

 死相が浮かんでいた、その組み合わせの候補は三通りだと考えられる。
① 美祢さんと瑠璃さん
② 増田さんと瑠璃さん
③ 美祢さんと武田君
④ 美祢さんと増田さん
 ①の根拠は、二人が猪谷に着くのがとても遅かったことである。次の質問の大きな事故も①であれば説明ができそうだ。さらに、武田君は悲鳴を二度聞いている。二度目は瑠璃さんでほぼ確定だが、一度目は誰か。ホテルに入った直後のシーンで「ここにあるのが全部死体ってすごいね。なんだか叫び声が聞こえてきそうじゃない?」という発言があるが真相は如何に。とはいえ、瑠璃さんの「お姉ちゃんは死にましたよ。残念でしたね。」という発言の整合性は今一つとなるように思える。また、最後に美祢さんと武田君が一緒にいる状況の説明も難しくなる。
 ②は最後の場面でいなくなった二人を候補として挙げているが、先ほどと同様瑠璃さんの発言との整合性が微妙なのと、瑠璃さんが死亡した理由が不明すぎてやはり今一つ…
 ③の根拠はいくつかある。まずは、武田君が瑠璃さん曰く死んだはずの美祢さんに最後に会っているという点。それから二人が深い関係を持っていたこと、増田さんと瑠璃さんが喫茶店で囁きあっていたことなどなど…
 ④はほとんど根拠がない。ただ瑠璃さんと武田君が二人残ったところまでが事実。美祢さんと再会したシーンは「曙光」だったと考えれば説明ができないこともない。
 個人的には誰も死んでなければいいなと…ミシマさんの気のせいだったらいいのに…

4.大きな事故が起こった。それはどこか?

 事故が起きた可能性があるのは二か所、一度目は終い二人で猪谷までドライブしたとき、二度目はトンネルの前で停車していたときである。猪谷までの道中で事故が起きていれば、ひとつ前の疑問の答えは①で間違いない。ただトンネル前で事故が起きていた場合には③④の可能性が高い。特に、「曙光」が会いたい人に会える無敵のパラレルワールドであるとするならば、④の可能性は格段に高くなるだろうと考える。

5.なぜ児島君が最初に姿を消したのか?

 これは「『曙光』の世界へ入ったから」ではないかと考える。

6.画廊で銅版画を見たとき、児島君は何を言い淀んでいたのか?

 絵の中の女性が藤村さんに見えたこと。

7.田辺と岸田が親しくなった木屋町の夜、岸田は何について語ったか?

 素直に読めば「神隠し」の話。また、連作画「夜行」について。この時からすでに岸田が「夜行」の中に長谷川さんの存在を認めていた可能性は高いのではないかと思う。ただ、それを天狗や鬼と見ていたか、長谷川さん本人と見ていたかは議論が分かれそう。

8.「夜行」に描かれている女性は誰なのか?

 これも長谷川さん。若しくは鬼。

9.岸田が英国で見たという「ゴーストの絵」。その作者は何を隠していたか?

 作者の銅版画家は、横恋慕した挙句屋敷の娘を殺したことを隠していた。これは「夜行」世界の岸田にも重ねることができるのではないかと思う。

10.本当に夜は明けたのだろうか?

 会いたい人と会い、希望や安心に包まれた状態を夜明けというのであれば、「ただ一度きりの朝」を迎えたのは岸田だけではなく、皆それぞれがそれぞれの夜明けを迎えている。延々と続くかのような不穏な夜を一撃で吹き飛ばす描写は本当にきれいで、森見さんと同じ言語を使うことができて本当によかったと思えるような清々しい表現。こんなに謎を残したままどうやって終わるんだろうと勝手に不安になってすみませんでした。


結び

「見る」こと

 ストーリーもきれい、表現もきれい、そんな中特に気になったのは「見る」ことについての言及が多いことだ。

僕らの目は夜になると変化するのだろうか。「あぶりだし」のように、昼間には見えなかった要素が見えてくる。

57頁

「ただ、その人の顔を見るだけ。そうするといろいろと浮かんでくることがあるでしょう。人間の顔っていうのはいろいろなものを表しているのね。これまでのことは全部顔に表れているし、これからのこともだいたい分かりますわね。」

85頁

我々は相手の顔を見ているようで見ていない。怒っているとか、泣いているとか、胡散臭いとか、紋切り型の言葉を与える。これは自分が相手に投げつけた言葉を見ているので、いうなれば独り相撲。しかし風景が無限の奥行きを持つのであれば人間の顔も同じでしょう。言葉に頼らずに相手の顔を見ることができれば、見えぬものがおのずから見えてくるものです。

198頁

 「夜」や「謎」をテーマとした作品で、これだけ「見る」ことを重視して書いており、見えないから、光がないからこその不安みたいなものを上手く表していると感じた。

 人の目に見える世界は宇宙の広さに比べたらほんの一部かもしれない。その外側には夜が、魔境が広がっている。皆がその夜に怯え、不安を感じて生活している。この本は、そんな夜闇の中で自分の曙光を見つけることがどれほど大事か、どれほど励みになるかを教えてくれる一冊である。そのように考えることにしたい。


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