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嫉妬から生まれた怪談話

円山応挙が描いたとされる
 亡き妻の幽霊の絵
青森県弘前市にある応挙ゆかりの
お寺・久渡寺のホームページから
お借りしました。

江戸時代に生まれて現代まで続く落語。
維新後の明治に入って三遊亭圓朝が
始めたのが怪談話。

彼が作った有名な会談には
『真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)』、
『怪談牡丹灯籠』、『死神』
『怪談乳房榎(かいだんちぶさえのき)』など
多くの名作があります。

ところで何故彼が、こういった新作を
寄席でかけるようになったのでしょうか?



それは『嫉妬』でした。
 
実は、あまりの彼の噺のうまさに、
彼の師匠の2代目三遊亭圓生が嫉妬

あろうことか弟子である彼の前に
高座に上がって、圓朝が予定していた
演目を先に演じてしまうなど、
彼の芸の妨害したのでした。
 
これに閉口した圓朝は、
ならばと誰も知らない
自らが作った新作をかけて
対抗したという訳です。

彼が作り出した
こうした怪談話は
落語にとどまらず、
その後、講談や浪曲、芝居、
映画など、他の芸能としても
演じられるようになります。

ちなみに、『怪談牡丹灯籠』の
あらすじを簡単にご紹介。

旗本の飯島平左衛門の娘、お露は、
一目惚れした相手の萩原新三郎に
恋い焦がれて死に、
乳母のお米もあとを
追って死んだのでした。

以来、新三郎は念仏三昧の日々を
送っていたのですが、
お盆の十三夜、新三郎の家に、
なんと、牡丹を模した燈籠、
牡丹灯籠を下げ、お露がお米に
伴われて訪ねてきたのです。
 
死んだと聞かされていた
ふたりの訪れに驚く
新三郎でしたが、
久しぶりの再会を喜び、
それ以降、毎晩のように
ふたりは逢瀬を重ねたのでした。

そんな様子を覗いていたのは
下男の伴蔵。
しかし蛍が飛び交う蚊帳の中を
よく見れば、新三郎が
抱いているのは、
なんとお露の骸骨だったのです。
 
怨霊となったお露との逢瀬に
次第にやつれてゆく新三郎。

そんな彼に旅の修験者は、
お札を授け、家中の戸に
これを貼って期限の日まで
籠もり、夜が明けるまで
決して出てはなりません、
と告げたのです。
 
言われたとおりに新三郎が家に
閉じ籠もっていると、
毎晩、お露は、履いている
下駄の音をカラ~ンコロンと
響かせながら、悲しげに
新三郎の名を呼びつつ
家の周りを歩き回るのでした。
 
そして迎えた
約束の最後の日、
新三郎は、自分の命より
お露への想いを優先し、
自らお札を剥がして
外へ出るのでした…。
そして・・・?


それでは、おあとが宜しいようで…。

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