モデルはこの人
いろいろな愛されキャラクターが
いますが、モデルとなった人が
実際にいるケースもあります。
大阪で有名な太郎の一人
食い倒れ太郎。
文楽人形師によって創られ、
大阪の動く看板第一号です。
2008年に一度、お店は閉店。
その後はタレントとして大阪を
PRするため日本全国を
走り回る活動を展開。
現在は道頓堀の商業施設
「中座くいだおれビル」の店頭で、
再び太鼓を叩いています。
そのモデルとなった方がこの方。
制作にあたっては、文楽人形を作る
人形師さんに依頼。
「日本人の十人に一人はいるような、
親しみのある、
しかも上品で、男前の顔」
という条件で発注されたのですが、
数多くの試作品を作ったものの、
全てボツ。
で、頭にきた文楽人形師さんが
発注者の社長の顔に似せて
作ったところ、
一発でOKが出たという
エピソードが残っています。
大阪といえば、
道頓堀の戎橋にあるグリコの大きな看板。
グリコのあのランナーにも
ちゃんとモデルになった方がいます。
モデルとなったのは、
フィリピンのカタロンという選手。
カタロン選手はいまから
100年以上前の1922年(大正11年)に
開催された、極東競技大会の
マラソン競技で優勝。
ゴールした瞬間、両手を上げて
テープを切ったのですが、
そのさわやかで、力強い勇姿に
感動したグリコの社長が
「これは栄養価・滋養の高いグリコに
相応しい」と判断して、
キャラクターに採用したのでした。
最後は、いまも愛用されているこちらの
メンソレータムの女の子。
モデルとなったのは
史上最年少、わずか6歳で
アカデミー特別賞に輝いた
シャーリー・・テンプルという
天才子役の女の子。
彼女は他に、不二家から発売された
フランスキャラメル缶の
モデルも務めています。
こちら数年前に復刻版が
発売とれています
最後にシャーリー・・テンプルちゃんの
写真を。