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マニキュアと筑紫哲也
春になるとよく聞く音楽
滝廉太郎の『花』
この名曲の他、
滝が作った曲には
♪もういくつ寝ると~の
『お正月』や『箱根八里』
『荒城の月』など、
いまでも歌われる曲が
たくさんあります。
瀧廉太郎は、
1879(明治12)
現在の西新橋に
生まれました。
父は大分の
日出藩の家老を務め
維新後は、大久保利通や
伊藤博文らの側近として
働く上級官吏でした。
父の転任で
11歳のときに
大分で暮らし
学校の裏にある
岡城跡は、
廉太郎にとって
石垣に座って尺八を
吹いたりして遊んだ
思い出の場所と
なります。
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そしてここでの
暮らしから
「荒城の月」が生れたと
されます。
廉太郎が東京音楽学校に
(現在の東京藝術大学)に
入学したのは15歳のとき。
そして22歳のときに
ドイツに留学
しかし留学から
5カ月後に肺結核に
冒され、翌年帰国。
帰国後も
回復することなく
23歳で旅立っています。
死因が結核だったため
多くの作品や遺品は
焼却処分されています。
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廉太郎はピアノを
弾く際に
日本の男性で
初めてマニキュアを
塗ったことで
知られます。
またニュースキャスター
ジャーナリストだった
筑紫哲也さんは
廉太郎の妹の孫に
あたります。