カレーライスの歴史
今日、7月29日は福神漬けの日
「7(七)29(福)」と読む
語呂合わせから決まったそうです。
福神漬けと言えば
カレーライスに添えられるものですが、
日本人のカレー好き。
年間にとれくらい食べていると思いますか?
全日本カレー工業協同組合、
及び日本缶詰びん詰レトルト食品協会が
公表している統計から計算しますと、
日本人は一年間に凡そ80回も
カレーを食べているそうです。
その消費量から計算すると、
週に1回以上は食べているという
日本の国民食のひとつが
「カレーライス」。
カレーのルーツは、
インドの伝統的な料理です。
しかしインドには元々、
料理の名前としてカレー(curry)という
言葉は存在していません。
では何故、その名前が世界に
普及したのでしょうか?
諸説ありますが、
タミール語で
「ご飯にかけるタレ状のもの」という
意味の「カリ(kari)」という
言葉を、西洋人が料理の名前と
勘違いしたため、といわれています。
そのカレーか日本に紹介されたのは、
江戸時代末期、ペリーの来航後、
尊皇攘夷運動が吹き荒れていた
混乱の時代でした。
もたらしたのは、インドを
植民地支配していたイギリスで、
ヨーロッパ風にアレンジしたものを
日本に紹介しています。
日本人はその欧風カレーを
さらに日本風にアレンジして、
今日の日本独自の
カレーを作り上げたのでした。
日本で初めての
カレーのレシピが紹介されたのは
1,873年(明治5年)に発売された
仮名垣魯文著の「西洋料理通」と
敬学堂主人(ケイガクドウシュジン)が
著した「西洋料理指南」という
2冊の本です。
これら本の発売のとどうじに
カレーが広く認識され
発売の翌年には、
陸軍幼年生徒隊の食事として
土曜日の昼食は
ライスカレーが定番となっています。
また、
「青年よ大志を抱け!」で
お馴染み、クラーク博士が
来日した1876年(明治9年)に
開校した札幌農学校では、
生徒の栄養面を考えて
1日おきにライスカレーが
出されています。
一説には
ライスカレーという名前の命名は
クラーク博士ともいわれています。
こうして次第に広まっていった
ライスカレーですが、
明治26年には『婦女雑誌』に、
「即席ライスカレー」の作り方が
紹介され、
さらにその10年後の明治36年には
初の国産カレー粉が、大阪の薬種問屋
「今村弥(いまむらや)」」から
発売されます。
その時のカレー粉のキャッチフレーズは
「洋風どんぶりがうちでも作れまっせ!」。
当時はカレーを洋風どんぶりとも
呼んでいましたが、
日本そば屋さんにあめ
「カレー丼」というメニューは、
このキャッチフレーズが
その起源かもしれません。
カレーが一般庶民の家庭でも
作られるようになったのは、
日露戦争がきっかけでした。
戦争を行うためには兵士に
食べさせる食料が必要です。
そしてそれは、日持ちがする食材で
一度に大量に簡単に
調理できるものでなくてはなりません。
そこで白羽の矢が立ったのがカレーでした。
カレーは軍用食品として
最適だったので、陸海軍ともに採用。
海軍でのカレーを食べる習慣は、
現在の海上自衛隊にも引き継がれており、
毎週金曜日が「カレーの日」になっています。
日本軍の兵士達は軍隊で
カレーの作り方を覚えました。
そして戦争が終わると
兵士達は国へ帰り、
家族にカレーの作り方を
教えたという訳です。
こうして一般家庭でも
カレーが作られ
全国に普及されていったのです。
その後、日本独自の考案で、
カツカレーやスープカレー、あるいは各地の
ご当地カレーというように
今や一口にカレーといっても、
唯一カレー粉を原材料に使っているだけで
全く異なったカレーなるものが
生まれ、それぞれのお客さんの好みで
支持されているということです。
最後に、ルーを入れるシルバーの容器は
「グレービーボート」や
「ソースポット」と呼ばれています。
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