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1日に1200ページの速読

直木賞と並んで、
最も有名な文学賞のひとつ
『芥川賞』。

その冠となっている芥川龍之介の
代表作としては『羅生門』
『蜘蛛の糸』『鼻』『河童』など
読んだことの多い作品が
数多くあります。

その芥川は、中学校の時に
あまりに頭が良すぎたことから
「多年成績優秀者」として
表彰を受けています。

結果、帝国大学の予科だった
第一高等学校に無試験で
入学しています。

この時、のちに小説家となる
久米正雄や菊池寛、歌人の土屋文明、
劇作家の倉田百三らが
同期入学しています。

一番左が菊池寛、隣が芥川龍之介


さらに、高等学校を卒業後は、
現在の東京大学英文科に進学します。

当時の東大英文科は
「超優秀な生徒20人程度しか
入れない」という東大の中でも
特に超難関学部でした。

大学卒業後、
23歳で『羅生門』を発表。
翌年には『鼻』といった
名作を送りだし、
龍之介の師匠である
夏目漱石に絶賛されています。

芥川が作家になったきっかけは、
当然、同級生の久米正雄や
菊池寛の影響もありますが
もうひとつは“失恋”。

幼なじみで青山女学院英文科に
通っていた吉田弥生という
女性との結婚を考えますが
父親の猛反対で
やむなく別れています。

失恋の胸中を友人に当てた
手紙の中で、夜通し泣いた」と
綴っていて、
失恋の翌年に発表した
短編羅生門は、
この時の失恋経験が
きっかけとなって
生まれたとされます。

結果、1919年に塚本文という
女性と結婚。
しかし、惚れやすい性格なのか
その後、歌人の秀しげ子や
同じく歌人で随筆家・翻訳家
として活躍した片山廣子らと
不倫関係を続けます。

芥川の「或阿呆の一生」には
廣子がモデルと思われる女性が
登場しています。

片山廣子

最後に、こんなお話を…

芥川龍之介は、非常に速く本を
読むことができたそうです。

洋書の速読も可能で、
あるとき大阪へ行く時、
分厚い英文の本を4、5冊、
手提げの中に入れて乗車。

それを汽車の中ですべて
読破してしまい、
一緒に居た谷崎潤一郎の
持っていた本を借りたという
エピソードが残っています。

また、日本語の書物や雑誌なら
2、3人と会話しながら
読むことも可能だったそうです。

親しかった歌人の下島勲が、
どのくらいの速度で
本を読めるのかと
芥川に聞いたところ、
普通の英文学書なら
一日1200から1300ページと
答えています。

これを時間で計算すると
1分間に2ページとなります。

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