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125回の改定

神社の年中行事として、本来
“七五三”の参拝は
11月15日とされています。

近年は、混雑を避けるために
時期をずらし、
11月15日の前後1~2か月に
神社への参拝や、記念撮影を
する方が多いようです。

実は、この“七五三”を
一般庶民に広めたのは
5代将軍・徳川綱吉です。


かつて“七五三”は
貴族の間だけで
行われていたのですが

綱吉の長男・徳松の健やかな
成長を祈願して七五三を
行ったのがそのきっかけと
なりました。
しかし、残念なことに
徳松は5歳で夭折。

その死のショックから、
綱吉は立ち直れず、
母親の桂昌院が
“殺生を禁じれば君主としての
徳が増し、世継ぎにも恵まれる”
ということを箴言。

結果、天下の悪法と呼ばれる
“生類憐れみの令”が
生まれたのでした。

庶民はこの悪法に猛反発。
当初、犬や猫のみでしたが、
やがて鳥、馬、虫、魚にまで
及ぶようになります。

最初の発令は、一般的には
「将軍が道を通過するとき、
犬や猫をつながずに
放しておいてよし」という
内容だけでした。

しかし通算125回の改定ののち、
どんな小さな虫でも
殺生したら罰則を受けるように
なります。

魚や鳥を生きたまま食用として
売ってはならない、
釣りも禁じる、と
何もかもが禁止されていったのです。


その改定の結果
具体的な酷い例をご紹介しましょう

虫を捕獲して虫の音色を
聴くための飼育は禁止

金魚を飼いたいなら幕府に届け出ること

田んぼや畑を荒らす害鳥は
離島に運んで放すこと

蚊が止まったら、そっとうちわで
あおいで逃がす、もしくは我慢すること
(この場合、見ていて
止めなかったものも罪に問われ、
閉門(監禁)処分にされました)


もし破った場合は、
はりつけ・打ち首・島流しなど
厳しく処罰されたのでした。

明治大学博物館に残された「生類憐れみの令」の文章


実は、綱吉自身も法令を
破りそうになった出来事が
ありました。

あるとき、空を飛ぶカラスの糞が、
綱吉の頭に落ちてきました。

怒り狂った綱吉は、
「捕まえて八つ裂きにせよ」と
周りにいた家来たちに
命じますが、
「それは法令違反です!」と
必死に制し、結果、
このカラスは捕まえれて
流罪になっています。

綱吉のこの法律で狂犬病が
減ったという説もありますが、
大阪府獣医師協会によりますと
日本で狂犬病が流行したのは
八代将軍徳川吉宗の時代、
18世紀以降、
効果は疑問視されています。
 
反対に厳しい罰を受けないよう
実は庶民は、こっそりと
飼い犬を捨てるようになります。

このため江戸市中に野犬が急増。
しかし誰も犬に餌を与えないので、
腹をすかせた犬が
子供を襲うことが頻繁に
起きたそうです。


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