江戸前とは「うなぎ」のこと
江戸前といえば、
いまでは「お寿司」のことですが、
かつては、
「鰻」のことを指しました。
江戸で鰻が流行したのは、
江戸城のお堀拡張などの
工事を行った際、
大量に鰻が採れたことによると
記されています。
江戸城の前でとれたことから、
正式には“江戸城前”と
呼ばれました。
庶民の間で、鰻が特に
食べられるようになったのは
江戸中期の元禄時代以降で
この時代、江戸では
たくさんの新しい食文化が
花開きます。
どんなものが生まれたのか?
それは、いまもつづく
寿司、天ぷらといった料理。
つまり和食の基礎が
この時代に確立されたのです。
こういった料理を、
お店で食べる以外、
庶民は屋台を利用しました。
屋台店の走りといわれるのが、
元禄16年に生まれた田楽です。
この年、江戸は、大地震や火事に
見舞われ、その焼け跡に、
田楽を売る小さなお店が生まれ、
これが屋台のはじまりとされます。
田楽から生まれた屋台から
あらたに天ぷらの屋台が
登場したのは
元禄からおよそ70年後の
安永年間(1772年以降)。
江戸前で採れた魚貝に、
衣をつけて屋台で揚げます。
揚がったものを、
庶民はメドキと呼ばれる
長い竹串に刺して食べました。
江戸風はゴマ油などで
色濃く揚げますが、
関西風は菜種油などで
白っぽく揚げました。
衣にも工夫がなされていて
鶏卵の黄身を入れたものを
“金ぷら”、
白身をいれて揚げたものを
“銀ぷら”と呼び
味の違いを楽しんでいました。
現代の天ぷらは白い衣が
多くなっていますが、
これは大正12年の関東大震災に
関係があります。
地震で関東の飲食店は全壊、
必要に迫られ
関西の料理人たちが
こぞって東京へ進出します。
食の世界で、この時から
江戸風は消滅、
天麩羅は関西風の
白っぽいものとなったのです。
日本食文化史上、
関東大震災は
重要な転換点となっています。
実は江戸前寿司も
これに大きく関係しています。
にぎりずしの誕生は、
江戸時代の後期、文化年間(1818年以降)。
「江戸前寿司」とも呼ばれ、
江戸中の評判となり、
広く愛されたのですが、
日本全国に広まった原因が
関東大震災でした。
震災で潰れた東京のすし職人達が
それぞれ自分の故郷に帰り、
日本全国に“江戸前寿司”が
広まっていったのでした。
従って地方に行って
“江戸前寿司”の看板が
上がっているのは
そのときの子孫の皆さん
ということが多いのです。