見出し画像

おみくじの歴史

近づく新年、初詣の予定は
お決まりですか?

初詣で、その年の吉凶を
占うものが「おみくじ」。

その歴史は古く、
凡そ1400年前の
飛鳥時代には
存在していて、
国の政に関する
重要な事項や
後継者を選ぶ際に
神の意志を占うために
使われていました。
 
文献に、おみくじと
思われるものが初めて
登場するのは『日本書紀』

有馬皇子
(ありまのみこ)が
謀反を起こす際に
その首尾を占った、
とあります。

また、鎌倉時代の1242年、
鶴岡八幡宮で天皇を
決める際にくじを引き
後嵯峨天皇が即位した例や、
足利幕府の後継者を
決めるため岩清水八幡宮で
くじが引かれ足利義教が
即位した記録等が
残っています。
 
さらに明智光秀が
信長を襲撃する前に
くじを引いたという
話もあり、
戦国武将もくじによって
戦い方を決めていたという
記録が数多く残っています。


ちなみにこの頃のくじは
今のような神社で
用意されたくじを
使うのではなく、
自分で用意するのが
一般的だったと考えられます。


鬼の姿で疫病を滅する良源を象った護符 国宝


 
多くの神社仏閣で
みられる現在のおみくじの
原型を作ったのは、
平安時代の高僧
天台宗比叡山の
慈恵大師良源上人
(じえだいしりょうげん)
とされ、時代が流れて
鎌倉時代初期からは、
政だけではなく、
個人の吉凶を占うように
なっていったようです。
 
また、鎌倉時代は
農村で水を田圃に
引く順番や、
耕す畑の土地を
不公平のないように
割り当てるために
使われたり、
漁村でも漁場の
入れ替えをくじで
決めていました。
 
江戸時代になると、
神社仏閣でも
くじを備え付けるように
なります。

そこには数字の書いた棒を
入れておいて人々は
「○番なら上手く行く」
などと、
自分でラッキーな
数字を決めてから
引いたようです。
 
現在のおみくじは
紙に書かれたものですが、
その7割近くは
山口県周南市にある
二所山田神社が設立した
月刊新聞社「女子道社」という
会社で作られています。


女子道社 山口県周南市観光ガイドより


女子道社がある二所山田神社


ちなみに、
おみくじの自動販売機が
ありますが、
これを開発したのも
女子道社で
明治時代に発明し、
大正時代に
実用新案を登録しています。
 
残りの3割は各寺社にて
作られていて、
各神社毎に、
独自の特徴があって、
それを求めて旅する
ファンもいるとのことです。

最後にこんなお話を…
全国の寺社の中でも
「凶」が多いことで
有名なのが鎌倉鶴岡八幡宮。
約3割が凶のみくじと
言われています
 

いいなと思ったら応援しよう!