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月と銀閣寺
明日は、中秋の名月。
そこで、月と銀閣寺のお話。
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「古都・京都の文化財」の一部として
世界遺産に登録されている銀閣寺。
足利八代将軍・義政の建立
建立したのは、室町時代の
足利八代将軍・義政。
もともとは山荘でしたが、
のちに銀閣寺と称せられる寺
慈照寺となっています。
将軍・義政は政りごとでは
無能の将軍と
呼ばれたようですが、
文化の面では、茶の湯や
生け花などを好み、
後に東山文化と呼ばれる
ひとつの時代を築きます。
銀閣寺の名前の謂れ
金閣寺に対して銀閣寺は
いささか地味な印象ですが、
銀閣寺という名前になったのには
それなりの理由があります。
古文書によれば、
かつて銀閣寺の壁は、
白土が塗ら;れていて
白い建物だったことが
記されています。
さらに白土の中には、
ミョウバンが
混ぜられていました。
ミョウバンは料理でも使われる
透明な結晶です。
このミョウバンを混ぜることで、
壁は光を受けると
キラキラと光ったそうです。
とくに月の光がさすと
光り輝きだす白い壁で
あったことから、
銀閣寺という名前が
付けられたそうです。
銀閣寺が立てられた位置
京都の寺社の位置を、
月の軌道から
調査している研究者によると、
銀閣寺はまさに、庭園から
見ることの出来る
特徴のある山、
月待山から月が昇るのを
見る位置に建てられているそうです。
つまり銀閣寺は月を目出るために
建てられた建物だったことが
判ってきています。
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義政の月の鑑賞法
義政はまず下の部屋で
月が山から昇ってくるのを
楽しみます。
やがて月が高い位置になると、
二階の建物のひさしに
邪魔されて
見ることができません。
すると彼は二階に上がります。
二階からは庭の池が見渡せます。
その池に映った月を
今度は愛でるのです。
池の中ほどには
丸い月の形の岩があり、
池に映った月の光は
その岩の月と、丁度重なるように
設計されています。
いまは存在しない渡り廊下からの鑑賞
さらに、夜もふけると義政は、
渡り廊下に出ます。
渡り廊下は現存していませんが、
そこに座ると、天空の月と
庭の池に映った月、
そして月の光に煌々と輝く
銀閣寺が楽しめたそうです。
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江戸の改修
さらに義政の時代になかったのですが
江戸の改修時に向月台と銀砂灘も
設置されます。
向月台は単なる庭のオブジェではなく、
人が頂上の部分に座って、
義政が名付けた正面の山
「月待山」から月が
昇ってくるのを待つための、
言わば展望台のような
ものだったと
考えられています。
現代のように灯りのなかった時代
月明かりはもっと風情のあったもの
だったに違いありません。
名月や池をめぐりて夜もすがら (芭蕉)